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白隠禅師坐禅和讃-2

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◎闇路に闇路を踏そえていつか生死を離るべき

白隠禅師坐禅和讃の続き

『六趣輪廻の因縁は
己が愚痴の闇路なり
闇路に闇路を踏そえて
いつか生死を離るべき

夫れ摩訶衍の禅定は
称歎するに余りあり
布施や持戒の諸波羅蜜
念仏 懺悔 修行等
その品多き諸善行
皆この中に帰するなり』

六趣輪廻は、六道輪廻(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天)。
愚痴は無明マーヤ。

OSHOバグワンは、第一身体は、悲惨のボディであり、それに対して第二身体は歓喜のボディである。第一身体、第二身体とも二元性から抜けていない。このいずれをも抜けないと最終的な解決にはならない。
(ここでいう第二身体は、エーテル体でなく、エーテル体、アストラル体、メンタル体など微細身の総称として表現しているようだ)

その終わりなき苦悩の旅路を『闇路に闇路を踏そえ』と語り、生死を超えるのは、個人の世界ではないから、このひとつながりのもの=法身だけが生死を超えている。

摩訶衍の禅定とは、字義は大乗における冥想のこと。
OSHOバグワンは、冥想の始まりは肉体に気づくことで始まり、第二身体の微細身を感じ取り、最後には法身に入ると、ここを説明している。

冥想修行には、自分を捨てる布施、悪行を行わない持戒、念仏などのマントラ、犯した悪事の懺悔などいろいろな手法があるが、最後はこの摩訶衍の禅定たる禅に帰する。

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