◎上に向かって無上の悟りを求め
白隠のお婆々どのの粉引き歌に悟後の修行のことが書いてある。
沙石集によれば、春日明神が、笠置の解脱上人に告げて言うには、『たとえ天下の智者高僧といえども、菩提心ない者は、皆々魔道に落ちた。
それでは菩提心とは何か。上に向かって無上の悟りを求め、生きとし生けるものを教化救済することである(上求菩提、下化衆生)。』
これで見ると、白隠の悟りは、軽くて、シュンニャというように何度も何層も起こるようなものであることが前提のようにも見える。悟ったけれども無上の悟りを求めるのでは、その悟りの真価が問われる。
そうなっては、衆生を教化救済できるものではないのではないかと思う。
ここでは悟後と書いてあるが、悟前なのではないかと思う。
白隠のお婆々どのの粉引き歌に悟後の修行のことが書いてある。
沙石集によれば、春日明神が、笠置の解脱上人に告げて言うには、『たとえ天下の智者高僧といえども、菩提心ない者は、皆々魔道に落ちた。
それでは菩提心とは何か。上に向かって無上の悟りを求め、生きとし生けるものを教化救済することである(上求菩提、下化衆生)。』
これで見ると、白隠の悟りは、軽くて、シュンニャというように何度も何層も起こるようなものであることが前提のようにも見える。悟ったけれども無上の悟りを求めるのでは、その悟りの真価が問われる。
そうなっては、衆生を教化救済できるものではないのではないかと思う。
ここでは悟後と書いてあるが、悟前なのではないかと思う。