◎マーヤから無心へ
OSHOバグワンは、タントリズムには、4段階があるとする。
第一の状態 無心:すべてが潜在。ニルヴァーナ。
第二の状態 非発生:何も具現化していないが、具現化する準備はできている。妊娠。
第三の状態 非記憶:2歳から5歳頃までの、子供の状態で、その体験はすべて現実。だがその記憶はない。認識がないから知識も記憶もない。
第四の状態 記憶、思考:木の実を食べたアダム以降の状態。輪廻。
以上のようにニルヴァーナからマーヤまでが尽くされている。マーヤから悟りに戻るには、3段階の気づきが必要となる。
第一の気づき:記憶から非記憶へ。
あらゆる思考を観照するが、こだわらず、浮かんで過ぎ去っていくままにする。そのうち思考と思考の間に隙間が現れ始める。やがて思考が何時間も消える時間が出てくる。
第二の気づき:グルジェフの言う自己想起。思考は客体だが、客体と思考する主体の両方に気づき続ける。これが自己想起。
第三の気づき:主体を忘れ、客体を忘れ、純粋な気づきだけがある。焦点は合わせず集中していないが、注意深く、覚醒している。眠りやすいが眠らない。
(以上:タントラの変容/和尚/講話 市民出版社P201-218から抜粋)
ニルヴァーナは、言語に尽くしがたいとされるのだが、単に眠らないで覚めているなどと書くと大いに誤解される羽目になりがちだが、あえて、このようなわかりやすすぎる段階説を持ってきたインド人のフランクさを高く評価したい。
それを達成するのは、むづかしい、困難、大変と言い立てるよりは、日常性の延長の中でニルヴァーナは普通にあったと言った方が、プレッシャーなく入って行きやすい。意識に圧力をかけることなく、圧力をかけないままに覚醒に出入するというのは、東洋的であり、精神文明の揺籃の国ならであると感じる。
グルジェフ・ワークもそれだけでは、荒っぽいことをいろいろやらせるものだと思われがちだが、OSHOバグワンの位置づけにより、その意図がはっきりする。
この4区分は、ボディの区分でも、個から全体へという区分でもないが、意識の発展という観点からであり、有用なもののひとつではある。
OSHOバグワンは、タントリズムには、4段階があるとする。
第一の状態 無心:すべてが潜在。ニルヴァーナ。
第二の状態 非発生:何も具現化していないが、具現化する準備はできている。妊娠。
第三の状態 非記憶:2歳から5歳頃までの、子供の状態で、その体験はすべて現実。だがその記憶はない。認識がないから知識も記憶もない。
第四の状態 記憶、思考:木の実を食べたアダム以降の状態。輪廻。
以上のようにニルヴァーナからマーヤまでが尽くされている。マーヤから悟りに戻るには、3段階の気づきが必要となる。
第一の気づき:記憶から非記憶へ。
あらゆる思考を観照するが、こだわらず、浮かんで過ぎ去っていくままにする。そのうち思考と思考の間に隙間が現れ始める。やがて思考が何時間も消える時間が出てくる。
第二の気づき:グルジェフの言う自己想起。思考は客体だが、客体と思考する主体の両方に気づき続ける。これが自己想起。
第三の気づき:主体を忘れ、客体を忘れ、純粋な気づきだけがある。焦点は合わせず集中していないが、注意深く、覚醒している。眠りやすいが眠らない。
(以上:タントラの変容/和尚/講話 市民出版社P201-218から抜粋)
ニルヴァーナは、言語に尽くしがたいとされるのだが、単に眠らないで覚めているなどと書くと大いに誤解される羽目になりがちだが、あえて、このようなわかりやすすぎる段階説を持ってきたインド人のフランクさを高く評価したい。
それを達成するのは、むづかしい、困難、大変と言い立てるよりは、日常性の延長の中でニルヴァーナは普通にあったと言った方が、プレッシャーなく入って行きやすい。意識に圧力をかけることなく、圧力をかけないままに覚醒に出入するというのは、東洋的であり、精神文明の揺籃の国ならであると感じる。
グルジェフ・ワークもそれだけでは、荒っぽいことをいろいろやらせるものだと思われがちだが、OSHOバグワンの位置づけにより、その意図がはっきりする。
この4区分は、ボディの区分でも、個から全体へという区分でもないが、意識の発展という観点からであり、有用なもののひとつではある。