Quantcast
Channel: アヴァンギャルド精神世界
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3535

聖者が友人として現れる

$
0
0
◎モラトリアムの終わり

悟っていない者が、聖者に会えば、師匠として崇めこそすれ、気楽な友人として付き合えるはずのものでもない。

ラーマクリシュナが、どんな悪人にも神性のかけらを見たように、聖者の側から見れば、万人は彼の友人である。だが、未悟の者が、聖者をして気を使わなくてもすむ友人の一人だと思っているならば、聖者と自分が対等であるという思い上がりの内にあるというだけ。

ここには、謙遜はなく、神への道は遠い。

最近は、皆アクアリアン・エイジャーになってしまったせいか、改めて聖者とその他諸人が友人として言祝(ことほ)ぐアクアリアン・エイジなどとは言わなくなってしまった。

だがアクアリアン・エイジ(水瓶座時代)にはなったものの立替え立直しは、未だ到来せず、クリスタル・ピープル予備軍のクリスタルは曇ったままである。

こうして1960年代に起こったアクアリアン・エイジの担い手たちは、70代80代となり、長いモラトリアムの時代を老いさらばえていっただけに見られても仕方のないところがある。

現代文明の良いところ悪いところを知悉していて、気力があるならば、そこに冥想メソッドとポスチャー(坐法)があるべきである。

そうやって、ある日の柔軟体操と五分間の冥想から新時代が始まる。

外は零下8度の厳寒である。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 3535

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>