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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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現代科学が人を神から遠ざける

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◎最後の最深の願望へ

科学は人の夢を育み、生活改善もしてきた。しかし、ここにきて、現代科学こそが、人を神から遠ざけている元凶の一つであると考えざるを得ないところがある。

スワミ・ラーマが本山博と思われる、チャクラのことを研究しているモトヤマ教授に出会った時、本山が『物質のコントロール法を知れば知るほど、その社会からは宗教がなくなっていきます』(ヒマラヤ聖者の教え/ジャスティン・オブライエン/徳間書店P475)と語っているシーンがある。

科学には、社会科学や人文科学もあれば、自然科学もあるが、この発言では、どちらかといえば自然科学方面のことを指す。

だが、主観をほとんど排斥した分析・推論の手法では、神の立ち位置はない。

伊勢神宮で例えれば、外宮だけ参拝して内宮には立ち寄らないみたいな。

出口王仁三郎の人間論では、肉体意識の権化として副守護神というのが登場し、本人が悪を行うのをそそのかす元凶みたいに霊界物語では繰り返し登場してくる。だから出口王仁三郎は、副守護神は悪玉でなく肉体機能維持のために必須の役割も持っているとも弁明している。

現代科学というのは、この肉体側、物質側のみを『客観性』がとれるという点で第三者に容易に証明し得るという簡便さから、偏重しすぎてきた。

捨象された主観は、躍動する生命全体からみれば、実は客観以上に、大きな位置を占める。ダライ・ラマもまさにここを指摘してきている。

本当の主観、人間の最深部の主観は、実は万人に共通であって、神仏につながってくる。

それを自ら確認する手段は、自分自身で体験するしかない。それが、冥想に取り組むということである。

人は、他人の深い体験を伝聞で知ったり、洗脳で植え付けられたりすることでは飽き足らなくなり、自ら体験しようという、最後の最深の願望が、ようやく浮き出ようとしてきているのである。

その体験とは言えない体験を。

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