◎世界を背負ってもこうまで重くはなかっただろう
聖クリストボロスは、聖クリストファーのこと。黄金伝説では、彼は、カナーン出身の身体の大きな人である。
彼が、さる悪魔である騎士と同道した時に、悪魔が十字架をひたすら恐れるので、そのわけを問うと、十字がキリストに由来することを知った。
そこでこの世で最強の主君キリストに出会いたいと思い、ある隠修士に、川で渡し守をすれば、キリストに会えると教えられた。
そこで、渡し場に掘っ建て小屋を建て、杖でバランスをとって、人を背負いながら、向こう岸に渡してやるボランティアを何年も続けた。
ある嵐の日、小さな男の子が川を渡りたいと申し出てきた。川を渡るうちに男の子は異様な重さになり、世界を背負ってもこうまで重くはなかっただろうとクリストボロスがつぶやくと、男の子は、「あなたは世界どころか、世界を創造した者をも肩に載せたのだ。私がキリストである。」と明かした。
キリストは、これ以後彼の名をキリストを背負う者クリストボロスに変えた。
世界を創造した者をも肩に載せたとは、一者、一気、アートマンとの合体であり、大悟覚醒である。
渡し守をしながら弟子を捜したのは、禅では、唐代の花亭和尚。江戸時代の初めの関ヶ原の宿屋の主人至道無難も東海道の要衝に宿を構えて師匠を捜していたとも思える。
こうしてまともな求道者は、グル・師匠を求めて一生をも賭けるものだ。
黄金伝説では、彼の無常観の深刻さや理不尽な現実の悲惨さにはあまり踏み込まず、最後は持っていた杖を地面に植えたら一晩で実がつくという奇跡があったなどと、奇跡がないと信じない人向けのエピソードを入れている。
黄金伝説では、ほんわかにふわっと現世利益に隠して、わかる人にはわかるエッセンスを隠している。
かくしてセント・クリストファーは世界の船乗り、冒険者たちに救難聖人として崇められてきた。
今は、自分がセント・クリストファーになる時代。
聖クリストボロスは、聖クリストファーのこと。黄金伝説では、彼は、カナーン出身の身体の大きな人である。
彼が、さる悪魔である騎士と同道した時に、悪魔が十字架をひたすら恐れるので、そのわけを問うと、十字がキリストに由来することを知った。
そこでこの世で最強の主君キリストに出会いたいと思い、ある隠修士に、川で渡し守をすれば、キリストに会えると教えられた。
そこで、渡し場に掘っ建て小屋を建て、杖でバランスをとって、人を背負いながら、向こう岸に渡してやるボランティアを何年も続けた。
ある嵐の日、小さな男の子が川を渡りたいと申し出てきた。川を渡るうちに男の子は異様な重さになり、世界を背負ってもこうまで重くはなかっただろうとクリストボロスがつぶやくと、男の子は、「あなたは世界どころか、世界を創造した者をも肩に載せたのだ。私がキリストである。」と明かした。
キリストは、これ以後彼の名をキリストを背負う者クリストボロスに変えた。
世界を創造した者をも肩に載せたとは、一者、一気、アートマンとの合体であり、大悟覚醒である。
渡し守をしながら弟子を捜したのは、禅では、唐代の花亭和尚。江戸時代の初めの関ヶ原の宿屋の主人至道無難も東海道の要衝に宿を構えて師匠を捜していたとも思える。
こうしてまともな求道者は、グル・師匠を求めて一生をも賭けるものだ。
黄金伝説では、彼の無常観の深刻さや理不尽な現実の悲惨さにはあまり踏み込まず、最後は持っていた杖を地面に植えたら一晩で実がつくという奇跡があったなどと、奇跡がないと信じない人向けのエピソードを入れている。
黄金伝説では、ほんわかにふわっと現世利益に隠して、わかる人にはわかるエッセンスを隠している。
かくしてセント・クリストファーは世界の船乗り、冒険者たちに救難聖人として崇められてきた。
今は、自分がセント・クリストファーになる時代。