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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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命と性

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◎修行者も人間

道教内丹家では、命と性という、命は身体・生命であり、ボディの側。性は、心・精神の側。

肉体・エーテル体と精神・心は日夜相互に影響を与え合っている。

だが、内丹家は、最後に元神は、肉体を離脱して昇天する主体とし、同時に元神は、あらゆるものが一つながりである、元気=一気=アートマンであるともする。

肉体からの離脱があることを思えば、体外離脱時には、心・精神は残っているが、肉体との連動は絶たれている。

命と性と言う場合、命=ボディの側は、肉体からエーテル体、アストラル体、メンタル体、コーザル体と遷移することを見れば、性(心・精神)の乗り物と例えるのが妥当である。

ただし、元神という用語は、最初は個々人としてボディに乗るが、最後は、もはや個性のない一気未分の元神(ア―トマン)に回帰する。

内丹修行者も微細身での火水のコントロールだけでやっていけるわけでなく、衣食住の手当て、呼吸法(気功)、柔軟体操(導引)、食事コントロール(菜食)など、ロハスな生活全体が修錬そのものになっている。

中国では、こうした無数の修行者の伝統から老子、荘子、列子、呂祖が出て、現代に至るが、共産中国初期には迷信の打倒と称して、宗教各派は徹底的に破壊・弾圧を受けたので、道統を継いだ人たちは、台湾などに流出したであろうと言われている。

特に親子でも批判しあった文化大革命のやり方は、まともな修行者であればあるほど大陸では生きられないと感じただろうと思う。

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