◎肉体乗り換えや屍解、砕霊へ
人は、神から発射され、神霊界に入り、霊界に入り、個別に分断され、幽界に入り、メンタル体とが形成され、アストラル体が形成され、エーテル体が形成され、肉体ができる。
これは人間の誕生の順序である。死に際して、その人間が神に至るケースであれば、その死のプロセスではこの逆のルートをたどるのだろうと想定される。ところが、肉体とエーテル体の崩壊のみは全ての人に共通であって、そこから先は、神に至る人と神に届かずに輪廻転生をまた繰り返す人に分かれるので、死後のルートについては、万人が神までの上りルートを遡上するとは言い切れないところがある。
一方でチベット死者の書の死のプロセスでは、いわゆる神である『原初の光』を万人が体験するのだから、全ての人が死に際しては一旦は神に戻っているという見方もできる。
このように生と死における七つのボディ間の下降と上昇について単純に論じることはできないが、冥想の究極とは、死と生を再体験するであろうと考えられる。
そうした冥想技法の延長線上に肉体乗り換えや屍解、砕霊などが視野に入ってくる。それらのイベントは真摯な求道者にとっては雑音みたいなものかもしれないが、ここで触れておくことにする。
◎エクスタシス 夢の夢なる-90
◎現代文明あるいは現代人のウィークポイント-79
◎七つのボディの遡上と下降-1
人は、神から発射され、神霊界に入り、霊界に入り、個別に分断され、幽界に入り、メンタル体とが形成され、アストラル体が形成され、エーテル体が形成され、肉体ができる。
これは人間の誕生の順序である。死に際して、その人間が神に至るケースであれば、その死のプロセスではこの逆のルートをたどるのだろうと想定される。ところが、肉体とエーテル体の崩壊のみは全ての人に共通であって、そこから先は、神に至る人と神に届かずに輪廻転生をまた繰り返す人に分かれるので、死後のルートについては、万人が神までの上りルートを遡上するとは言い切れないところがある。
一方でチベット死者の書の死のプロセスでは、いわゆる神である『原初の光』を万人が体験するのだから、全ての人が死に際しては一旦は神に戻っているという見方もできる。
このように生と死における七つのボディ間の下降と上昇について単純に論じることはできないが、冥想の究極とは、死と生を再体験するであろうと考えられる。
そうした冥想技法の延長線上に肉体乗り換えや屍解、砕霊などが視野に入ってくる。それらのイベントは真摯な求道者にとっては雑音みたいなものかもしれないが、ここで触れておくことにする。
◎エクスタシス 夢の夢なる-90
◎現代文明あるいは現代人のウィークポイント-79
◎七つのボディの遡上と下降-1