◎文明のピークから衰退への切り替わりの早さ
円仁は、空海が長安にあって恵果から密教の奥義を伝授され大量の経典を日本持ち帰るという大きな成果を挙げたわずか20年ほど後に中国に入ったが、実のところ空海ほどの成果は上げられず、道教優先、廃仏の機運が高まる中、不安な日々を過ごしている。
その中で、会昌三年折しも唐は廻鶻(ウィグル)と交戦中であるため、唐は長安において廻鶻の崇拝する宗教であるマニ教徒をまとめて剃髪して袈裟を着せてそこで殺害したという記録が出て来る。
マニ教は、3世紀にイランで殉教したマニが教祖だが、ユダヤ教・ゾロアスター教・キリスト教・グノーシス主義などの混交した教義とされ、マニ自身はインドに2年くらい修行しているので、インド流の汎宗教観みたいなものによって、平気でこうした世界宗教の走りとなりえる教義を構築した可能性があるように思う。
マニ教は3世紀になまじそれらしい経典を作ったがゆえに晩唐に中国にまで布教できたほどの共鳴者を集めるぐらいの宗教だったのだろう。
アヴェスターの時代は、インドとイランの宗教において相当に交流が成されていた形跡があるのだが、そうした気分がまだ残っている時代にマニも出てインドとイランを往来したのだろう。
これを見ると、聖者ゾロアスターは、イランのみならず、インドにも中東にも大きな影響を与えた人物であることが感じられる。
イエス生誕時の東方三博士はマギと呼ばれるのだが、東方なのでゾロアスター教も意識せられる。
東方三博士のイメージは、頭頂の封印を切る2、3人の神霊のシンボルでもあると思う。
世界宗教のるつぼであった盛唐から晩唐への切り替わりは早く、バブルを謳歌した日本も関西国際空港が台風で水没するという文明の切り替わりを象徴するような事件が起きた。
更なるスーパー台風も予想され、出口王仁三郎のいろは歌の諸外国の軍船が日本周辺で転覆しまくるシーンも想起されることである。
円仁は、空海が長安にあって恵果から密教の奥義を伝授され大量の経典を日本持ち帰るという大きな成果を挙げたわずか20年ほど後に中国に入ったが、実のところ空海ほどの成果は上げられず、道教優先、廃仏の機運が高まる中、不安な日々を過ごしている。
その中で、会昌三年折しも唐は廻鶻(ウィグル)と交戦中であるため、唐は長安において廻鶻の崇拝する宗教であるマニ教徒をまとめて剃髪して袈裟を着せてそこで殺害したという記録が出て来る。
マニ教は、3世紀にイランで殉教したマニが教祖だが、ユダヤ教・ゾロアスター教・キリスト教・グノーシス主義などの混交した教義とされ、マニ自身はインドに2年くらい修行しているので、インド流の汎宗教観みたいなものによって、平気でこうした世界宗教の走りとなりえる教義を構築した可能性があるように思う。
マニ教は3世紀になまじそれらしい経典を作ったがゆえに晩唐に中国にまで布教できたほどの共鳴者を集めるぐらいの宗教だったのだろう。
アヴェスターの時代は、インドとイランの宗教において相当に交流が成されていた形跡があるのだが、そうした気分がまだ残っている時代にマニも出てインドとイランを往来したのだろう。
これを見ると、聖者ゾロアスターは、イランのみならず、インドにも中東にも大きな影響を与えた人物であることが感じられる。
イエス生誕時の東方三博士はマギと呼ばれるのだが、東方なのでゾロアスター教も意識せられる。
東方三博士のイメージは、頭頂の封印を切る2、3人の神霊のシンボルでもあると思う。
世界宗教のるつぼであった盛唐から晩唐への切り替わりは早く、バブルを謳歌した日本も関西国際空港が台風で水没するという文明の切り替わりを象徴するような事件が起きた。
更なるスーパー台風も予想され、出口王仁三郎のいろは歌の諸外国の軍船が日本周辺で転覆しまくるシーンも想起されることである。