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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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人を偏見なく見る

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◎精神の高みを見る

学歴もなく教養もなく金もないが、悟っている人はいるものだ。例えば浄土真宗に妙好人として南無阿弥陀仏の連唱だけで覚醒した市井のそうした人がいることは知られている。

いまでもそのようにお題目教団や念仏教団のまじめな平信者のおばさんの中にそうした人はいるし、カルト教団の平信者の中にすらもそういう人がいないとも限らない。

神仏は、そうした覚者を教団の底辺とか辺縁部に配置することがあり、教団そのものの伝法、真理の伝承は時にそういう形で護持されていくことがある。

伊勢神宮が応仁の乱後にほとんど断絶寸前になった時に寄進の音頭をとったのは、有名神道家でなく、なんと仏教徒のおばさんだったことは有名だ。

スワミ・ラーマの支援者の一人アン夫人は、親族で知的障害をもつキティおばさんの世話を長年にわたってやってきた。アンにとっては、キティおばさんは、厄介者であり、キティおばさん自身にとっても知的障害を持って生きることは不幸なことだと感じているに相違ないと思い込んでいたのだが、意外なことにスワミ・ラーマは、チビで知的障害のあるキティおばさんは既に相当な覚者であることを示唆した。(キティおばさんは、スワミ・ラーマに5柱のサポート神霊のあることを見抜いた)

丹波哲郎の霊界探訪の「霊界旅行」では、光の存在に導かれて、バスが崖から転落した事故で死んだ25名のあの世での一人一人の消息を追う。その中で知恵遅れの若い女性が強姦されたことでシングル・マザーとなるのだが、彼女がこの不慮の死を遂げた25人の中では最高の境涯にあった。

このように知的障害とか知恵遅れと精神の高さは連動しない。また精神障害ですらも精神の高みと連動しないのだろう(ヘルダーリンみたいに神を見ても統合失調というのはある)。

もっともここは知的障害、精神障害の社会性のなさを否定するものではなく、求道者としては、彼らの精神の高みを偏見なく見るべきだということである。


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