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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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生と死のコントロール手法群

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◎死に方というのは極めてデリケートなもの

肉体は、人間が覚醒するために必要な道具であるが、肉体は物質である以上は経年劣化し、覚醒するためには利用できない代物になった時に死が起こる。

これは、生も死もコントロールできるようになった修行者たちのもの言いである。死に際して孤独とすべてを喪失する恐怖におののく死を前にした人々のための言い方ではない。

スワミ・ラーマは、あえて熟達した修行者の肉体の脱ぎ方を列挙するが、それはあくまで覚醒し生を究め死を窮めた者たちにとって理解できる理屈であり、実践であることを繰り返し注意する。

自殺ほう助は違法だとか、遺体を勝手に動かしてはいけないとか、現代の法治のもとでは問題になる事柄がいくつか含まれているからである。そして何よりもこうした生死にかかわるテクニックはちょっとした誤りやミスで命を落としかねないからである。死に方というのは極めてデリケートなものだ。

呼吸が止まるとエーテル体も数時間で崩壊することになり、微細身は肉体と分離するが、それが死。

北インドのガンゴトリ近くのある修行者は5分前に死を予告し、呼吸停止してまもなく、自分で身体を数メートル宙に浮かせてガンジス川の水面上に移動させ、そのまま沈んだ。

ガンジス河畔のヴィネイ・マハラジャは7人の行者に囲まれたまま朝4時半に肉体を去ると予告し、果たして4時半になると両目を閉じて動かなくなると、7人全員が、コトっという頭蓋骨の頭頂が割れてブラフマ・ランドラ(サハスラーラ・チャクラ)から肉体を去る音を聞いた。

サマディーにありながら自分を凍えさせるヒマ・サマディーという手法。標高5千メートル超の風雪の地で野営するとそういう人も出てくる。

ヒマラヤの深い河に入り呼吸を止めて肉体を去るジャラ・サマディーという手法。葛玄は水中で呼吸までしてみせた。

成就坐(シッダ・アーサナか?)で座って意識で頭頂の泉門を開いて抜けるスタル・サマディーという手法。

カタ・ウパニシャッドのナチケータが伝授されたといわれる太陽神経叢を瞑想することで、内なる炎が瞬時に肉体を焼き尽くす手法。慧春尼の火定もこれだったかも。
(参考:ヒマラヤ聖者とともに -偉大な霊性の師と過ごした日々- スワミ・ラーマ/著 ヒカルランドP409-419)

こうした生死の出入自在の手法群の延長線上に肉体乗り換えがある。


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