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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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悟った人たちの著作と自動書記

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◎既成概念を壊して語れないものを逐う

悟った人には2種類あって、神仏を見たりワンタッチしただけの人と神人合一体験のある人である。その著作はどちらの人が書いたのか。

釈迦は、言行録は多数あるが、自らの著作はない。OSHOバグワンも講話録は、多数あるが著作はない。クリシュナムルティも講話録は多数あるが、著作はない。イエスも言行録は多数あるが、自らの著作はない。

道元には正法眼蔵がある。

出口王仁三郎には、多数の著作があるが、主著霊界物語は、自動書記であったためか、第一巻から順に第八十一巻まで読んだとしても、演繹的に積み上げた論理構成で順序よく書かれているわけではないから、一読してもわけがわからないのが常。

ダンテス・ダイジには、ニルヴァーナのプロセスとテクニックとアメジスト・タブレット・プロローグという著作がある。項目は立てていて、実体験も書かれているが、そのままでは何のことかわからないほどに詳細の説明はなく、随所に言葉では説明できない部分が登場する。

悟りというのは、本来言葉で説明などできないものだから、自ずと自動書記風にならざるを得ないものであり、人が悟りに至るには、徐々に既成概念を壊していく準備作業が必要なものだから、論理の積み上げではどうしても無理な部分が出てくる。そこが詳述できない部分なのだろうと思う。

パタンジャリのヨーガ・スートラは、インド・ヨーガの精髄だが、全体の書きぶりは自動書記風である。何千年の伝統のあるインド精神世界なのだから、消化してエッセンスだけ素人にも簡単に一読してわかるようなテキストはなく、せいぜいがヨーガ・スートラであるというのは、象徴的である。

だが今万人が、知性により悟りへの道程を見渡す時期が来たのだろうと思う。悟りは体験できるものだから。


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