◎やがて死ぬけしきは見えず蝉の声
紀野一義は、名僧列伝という文庫本の著者。この日蓮の段に、ご自分が、千数百発の不発弾の信管をはずす作業をしたことが出てくる。
彼は学徒出陣で太平洋戦争には陸軍工兵士官として応召。レイテ島に送られる予定であったが輸送船団が壊滅し、台湾に送られる。台湾では米軍爆撃機が投下した不発弾1752発の信管を外す作業を命じられた。
最近でも時々住宅街で発見される不発弾処理作業の最後は、独身の一人だけが残って信管はずしをやるのだそうだが、それを一人で、1752発やったという。
一発やるのでも、来し方行く末のことが思い出され、生死が間一髪の境にあって、人の本心が露見しやすい。OSHOバグワンのいう“本当に意識的な”状態になるのだろう。
日蓮は、『妻を狙ったり窃盗などで撃たれる人は多いが、法華経の故に殺された人は一人もいない。ただ日蓮だけが、ちゃんと法華経を読んでいる。
我不愛身命但惜無上道是也(身命を愛さず、無上道だけを惜しむ)。』と言う。法華経には、法華経を信じ行ずる者は、ひどい目にあうと書かれているが、実際にひどい目にあっているのは日蓮一人だから、日蓮こそ正しい法華経読みだというロジックである。
紀野一義は、信管はずし作業の時に、常に日蓮のことを念頭に思い。必ず信管をはずしてやると思い、絶対に死ぬものかと思い、死ぬなどという気は毛頭なく、信管をはずし切り、生きて還ったという。そして生還できたのは、日蓮の不惜身命の生きざまを見習ったからだとする。
この考え方は、自分が殺されようが、傷つけられようが、そんなことは自分には関係ないという考え方とは異なる。
だが紀野一義は広島の原爆で両親をはじめ留守家族のほとんどを失ったという。生還してもやがて死に、非戦闘地域で非戦闘民でも原爆で死ぬ。
やがて死ぬけしきは見えず蝉の声
芭蕉
紀野一義は、名僧列伝という文庫本の著者。この日蓮の段に、ご自分が、千数百発の不発弾の信管をはずす作業をしたことが出てくる。
彼は学徒出陣で太平洋戦争には陸軍工兵士官として応召。レイテ島に送られる予定であったが輸送船団が壊滅し、台湾に送られる。台湾では米軍爆撃機が投下した不発弾1752発の信管を外す作業を命じられた。
最近でも時々住宅街で発見される不発弾処理作業の最後は、独身の一人だけが残って信管はずしをやるのだそうだが、それを一人で、1752発やったという。
一発やるのでも、来し方行く末のことが思い出され、生死が間一髪の境にあって、人の本心が露見しやすい。OSHOバグワンのいう“本当に意識的な”状態になるのだろう。
日蓮は、『妻を狙ったり窃盗などで撃たれる人は多いが、法華経の故に殺された人は一人もいない。ただ日蓮だけが、ちゃんと法華経を読んでいる。
我不愛身命但惜無上道是也(身命を愛さず、無上道だけを惜しむ)。』と言う。法華経には、法華経を信じ行ずる者は、ひどい目にあうと書かれているが、実際にひどい目にあっているのは日蓮一人だから、日蓮こそ正しい法華経読みだというロジックである。
紀野一義は、信管はずし作業の時に、常に日蓮のことを念頭に思い。必ず信管をはずしてやると思い、絶対に死ぬものかと思い、死ぬなどという気は毛頭なく、信管をはずし切り、生きて還ったという。そして生還できたのは、日蓮の不惜身命の生きざまを見習ったからだとする。
この考え方は、自分が殺されようが、傷つけられようが、そんなことは自分には関係ないという考え方とは異なる。
だが紀野一義は広島の原爆で両親をはじめ留守家族のほとんどを失ったという。生還してもやがて死に、非戦闘地域で非戦闘民でも原爆で死ぬ。
やがて死ぬけしきは見えず蝉の声
芭蕉