◎誰でも納得できる理屈などはない
出口王仁三郎は、神を拝むのに理屈などはないとした。
この時代に日常生活の中で、神仏を感じる時間は、極めて少ない。照明や娯楽の発達によって、起きている時間は長くなったが、余暇の時間は短く、神仏を感じる時間は更に少ない。
見仏体験のある人、見性体験のある人で、それを維持し大切にしていこうとする人の中には、日常生活即仏法、日常生活即神事になる人も稀にはいるだろう。
でも大方の人は一日の終わりには、神などいないと無意識に思い込んでいる人たちの中で、自分のメリットしか思わない人たちばかりとの全身全霊の応対に疲れ果て、半分ノイローゼみたいな気分になっているものではないだろうか。
ちゃんと眠れれば睡眠によりそれがリセットされる人もいるが、暗澹たる気分がリセットされないままに翌日を迎えることが長期にわたる場合は、精神のバランスを崩すこともあるだろう。
人がこうした時代に、一日の終わりや一日の始めに、本来の正気に戻すには神仏を感じる時間というのは不可欠なものである。女優大竹しのぶやサッカーの長谷部誠選手もプチ冥想している。
万物への報恩感謝もあるが、どの宗教でも神・仏の窮極といえば、色なく形なく名前なく言葉で表現できない無相のものと決まっている。
そいういうものを感じるということに、なぜどうしてという理由などつけられない。理由がなければ感じようとトライしないというのは功利的な発想ではあるが、だからと言って神仏から離れるというのは人間の自殺行為である。
ここのところが、いわばアセンションの踏み絵となる。
自分を棄てるという方向性には、誰でも納得できる論理性は与えられていないからである。真善美愛も自分を棄てるという方向の先にしかないのだが。
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【悟りとは何か】 【ダンテス・ダイジ】 【クリシュナムルティ】 【OSHOバグワン】 【出口王仁三郎】 【道元】
【生の側から窮める】 【死の側から窮める】 【通俗人間性からのジャンプ】
【肉体】 【エーテル体】 【アストラル体】 【メンタル体】 【コーザル体】 【アートマン】 【ニルヴァーナ】
【アトランティス】 【現代文明】 【日本の行く末】
出口王仁三郎は、神を拝むのに理屈などはないとした。
この時代に日常生活の中で、神仏を感じる時間は、極めて少ない。照明や娯楽の発達によって、起きている時間は長くなったが、余暇の時間は短く、神仏を感じる時間は更に少ない。
見仏体験のある人、見性体験のある人で、それを維持し大切にしていこうとする人の中には、日常生活即仏法、日常生活即神事になる人も稀にはいるだろう。
でも大方の人は一日の終わりには、神などいないと無意識に思い込んでいる人たちの中で、自分のメリットしか思わない人たちばかりとの全身全霊の応対に疲れ果て、半分ノイローゼみたいな気分になっているものではないだろうか。
ちゃんと眠れれば睡眠によりそれがリセットされる人もいるが、暗澹たる気分がリセットされないままに翌日を迎えることが長期にわたる場合は、精神のバランスを崩すこともあるだろう。
人がこうした時代に、一日の終わりや一日の始めに、本来の正気に戻すには神仏を感じる時間というのは不可欠なものである。女優大竹しのぶやサッカーの長谷部誠選手もプチ冥想している。
万物への報恩感謝もあるが、どの宗教でも神・仏の窮極といえば、色なく形なく名前なく言葉で表現できない無相のものと決まっている。
そいういうものを感じるということに、なぜどうしてという理由などつけられない。理由がなければ感じようとトライしないというのは功利的な発想ではあるが、だからと言って神仏から離れるというのは人間の自殺行為である。
ここのところが、いわばアセンションの踏み絵となる。
自分を棄てるという方向性には、誰でも納得できる論理性は与えられていないからである。真善美愛も自分を棄てるという方向の先にしかないのだが。


【悟りとは何か】 【ダンテス・ダイジ】 【クリシュナムルティ】 【OSHOバグワン】 【出口王仁三郎】 【道元】
【生の側から窮める】 【死の側から窮める】 【通俗人間性からのジャンプ】
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