◎自分で考える
イチローの引退会見の中で、アメリカの野球は考えない野球に向かっているが、日本はそれを真似することはないというようなニュアンスの発言があった。
NYヤンキースの田中マー君の登板の時に、ヒューストン・アストロズは、球種、球速、コース、何球目にどんな配球をしてくるかなどを分析しきっており、アストロズのバッターは、ほぼ次にどういう球が来るかをかなりの確率で分かっているなどと解説される。一見アメリカ野球は、考えつくした野球だと誰もが思う。
そういう中で、名門ヤンキースで、5年連続2けた勝利する田中マー君は偉大であって、日本の野球は、未だに野村監督のID野球レベルなのかなと勘ぐってしまう。この辺は別の突っ込み所。
そうしたあらゆるデータを駆使したAI分析に立ち向かっているのが、メジャーリーガーなのであるが、データの収集と分析と予測を外部に頼っているがゆえに、選手個人は考えなくなっている。アストロズ打線は強力だが、それは、考えないバッター陣だと言っているのではないかと思った。
イチローは、自分が生の現実を感じ、結果を集積し、分析し、予測し、応用するという肌感覚の『考える野球』を何十年続けてきたのだろう。
日本のマスコミは根性論が大好きなせいか、試合前後の地味な激しいイチローの練習の積み重ねばかり強調するが、実は日々刻々自分で考えてきたほうが軸であって、その結果野球人として適切に練習を積み重ねて成功できたのではないか。
冥想でも適切な冥想法を学び、適切に冥想を積み重ねることが必要なのだが、日々自分で疑い、考えるのが基本。しかしそれは意外に簡単なことではなく、カルトに引き込まれたり、精神のバランスを崩したり、野狐禅となったり、独善となったりする。
今スポーツでもIT・データ分析が花盛りで、テニス大坂なおみのチームにも分析担当がいて、バレーボールでも監督の横にデータ分析担当がいて、サッカー、アメフト、卓球もそう。将棋、囲碁は、ITが人間の実力を上回るようになってますますその傾向は強い。
人間はどうしても、生データとその分析結果があると、それを信じてしまい、頼ってしまう。自分で疑い、考えることをやめるのだ。その信じ込みやすさでは、現実の一歩先に進めないことをイチローは感じていたし、そのことは相当に決定的な結果を招くことも承知していたのだろうと思う。
確かにデータ分析では相当な成功をゲットできるだろう。だが、本当に切羽詰まった場面では、過去データの類推でなく、ビビッドな今ここが求められることをいくつもの修羅場を通じて痛感していたのではないかと思う。
西洋占星術もコンピューターで予測した天体の位置をもとに予測することが当たり前になって久しい。実際の天体位置は、微妙に予測位置とずれる。実際とずれたホロスコープでは、ずれた予言となる。生の天体をみていないからである。
生の天体を見て、感じる、考える。孔子も学びて思わざれば則ち罔(くら)し、と。データで学んでも生き生きとした現実そのものを感じ、考えないと、突き抜けることはできないのだ。
2009年ワールド・ベース・ボール・クラシック決勝の韓国戦、3-3で迎えた10回表、2アウト2・3塁の場面で、それまで不振に苦しんでいたイチロー選手がセンター前に勝ち越しのヒットを放ったことを、皆忘れないだろう。それが彼の考える野球の証し。
イチローの引退会見の中で、アメリカの野球は考えない野球に向かっているが、日本はそれを真似することはないというようなニュアンスの発言があった。
NYヤンキースの田中マー君の登板の時に、ヒューストン・アストロズは、球種、球速、コース、何球目にどんな配球をしてくるかなどを分析しきっており、アストロズのバッターは、ほぼ次にどういう球が来るかをかなりの確率で分かっているなどと解説される。一見アメリカ野球は、考えつくした野球だと誰もが思う。
そういう中で、名門ヤンキースで、5年連続2けた勝利する田中マー君は偉大であって、日本の野球は、未だに野村監督のID野球レベルなのかなと勘ぐってしまう。この辺は別の突っ込み所。
そうしたあらゆるデータを駆使したAI分析に立ち向かっているのが、メジャーリーガーなのであるが、データの収集と分析と予測を外部に頼っているがゆえに、選手個人は考えなくなっている。アストロズ打線は強力だが、それは、考えないバッター陣だと言っているのではないかと思った。
イチローは、自分が生の現実を感じ、結果を集積し、分析し、予測し、応用するという肌感覚の『考える野球』を何十年続けてきたのだろう。
日本のマスコミは根性論が大好きなせいか、試合前後の地味な激しいイチローの練習の積み重ねばかり強調するが、実は日々刻々自分で考えてきたほうが軸であって、その結果野球人として適切に練習を積み重ねて成功できたのではないか。
冥想でも適切な冥想法を学び、適切に冥想を積み重ねることが必要なのだが、日々自分で疑い、考えるのが基本。しかしそれは意外に簡単なことではなく、カルトに引き込まれたり、精神のバランスを崩したり、野狐禅となったり、独善となったりする。
今スポーツでもIT・データ分析が花盛りで、テニス大坂なおみのチームにも分析担当がいて、バレーボールでも監督の横にデータ分析担当がいて、サッカー、アメフト、卓球もそう。将棋、囲碁は、ITが人間の実力を上回るようになってますますその傾向は強い。
人間はどうしても、生データとその分析結果があると、それを信じてしまい、頼ってしまう。自分で疑い、考えることをやめるのだ。その信じ込みやすさでは、現実の一歩先に進めないことをイチローは感じていたし、そのことは相当に決定的な結果を招くことも承知していたのだろうと思う。
確かにデータ分析では相当な成功をゲットできるだろう。だが、本当に切羽詰まった場面では、過去データの類推でなく、ビビッドな今ここが求められることをいくつもの修羅場を通じて痛感していたのではないかと思う。
西洋占星術もコンピューターで予測した天体の位置をもとに予測することが当たり前になって久しい。実際の天体位置は、微妙に予測位置とずれる。実際とずれたホロスコープでは、ずれた予言となる。生の天体をみていないからである。
生の天体を見て、感じる、考える。孔子も学びて思わざれば則ち罔(くら)し、と。データで学んでも生き生きとした現実そのものを感じ、考えないと、突き抜けることはできないのだ。
2009年ワールド・ベース・ボール・クラシック決勝の韓国戦、3-3で迎えた10回表、2アウト2・3塁の場面で、それまで不振に苦しんでいたイチロー選手がセンター前に勝ち越しのヒットを放ったことを、皆忘れないだろう。それが彼の考える野球の証し。