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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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日本教としての古神道

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◎古神道と他宗教とのコラボ史

日本書記には、仏教が日本に入ってくる時に、日本には、天地百八十神がおわしますのに、仏教を入れるなどは、これら先住の神々がお怒りになるだろうと恐れたり、疫病に乗じて仏像を投げ捨てたり、寺を焼いたことが記されている。

儒教の孟子が日本に入ってくる時も、易姓革命により万世一系の天皇制を侵すものとして、何度も中国の船が沈んだという。

日本は仏教を入れるには入れたが、習合して古神道を捨てることはなかった。

禅が入ってくる時に、栄西は他宗派から世俗の名利にさといなどと陰口を叩かれ、密教が入ってくる時に、空海は平城天皇と嵯峨天皇が争っていたところ、うまく嵯峨天皇を推して勝者の側についたとその立ち回りぶりをくさされるが、新宗教は常にそういう目にあう。

皇室は、空海以後すっかり葬祭がすっかり真言密教化してしまって、明治になるまでそれは変わらなかった。

明治中期から天皇は国家神道体制に取り込まれ、いつのまにか現人神になって、第二次世界大戦の敗戦を迎える。

出口王仁三郎は、ネオ古神道の復古を昭和10年までには完成し、それをもって、宗派のない宗教、あるいは、宗派の卒業を期していたふしがある(万教同根)。

キリスト教については、安土桃山、明治維新時、終戦直後にそれぞれ大規模に入り込もうとした時期はあったが、この宗派のない時代に入った。宗派にこだわらないまともな宗教と無数のカルトが共存する時代に。

古神道だけ見れば、平安時代から江戸時代以降は、細々とやってきていたのだろうと思われるが、必ずしも天皇の近縁に覚者がおらずとも、周辺に身分の卑しい者やあるいは、仏教者であっても古神道を護持してくれるわけのわかった人が途切れずに続いたからこそ今の神道があるのだと思う。

明治以降国家神道として歪められ、大本教を弾圧する等のことはあったが、本来の清流を持つ人はどこかにいるのだろうと思う。

また古事記が残っているというのは、パドマサンバヴァがチベット土着神を帰順させたような荒業により古来の天津神、国津神が滅ぼされはしなかったということなのだろうとも思う。

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