◎巨人軍の荒川博バットとともに吹き飛ばされる
王貞治の師匠である巨人軍の荒川博。ある日、植芝盛平が持っている木刀めがけて、荒川がバットを横なぎに振った。その瞬間に植芝盛平が気合を入れたら、荒川はバットもろともに吹っ飛んだ。それが2回あって、荒川は植芝盛平に弟子入りした。
植芝盛平は、80過ぎだったが、門人と一緒に30分くらい丁寧に身体をストレッチしていた。80過ぎの老人とは思えないほど身体が柔らかく、古神道独特の体操である天之鳥船も大変柔軟だった。
植芝盛平は、天之鳥船を三回と振魂一回をセットで3セットやっていた。(振魂では右手を下に左手を上に組む)(以上出所:開祖の横顔 14人の直弟子が語る合気道創始者・植芝盛平の言葉と姿 月刊秘伝編集部/編 BABジャパン)
※振魂:振魂の行事なり。之には種々の方式あれども、普通の場合には、両掌を臍あたりの前方に於て十字形に組み合せ、渾身の力を籠めて神名を称へながら、自己の根本精神を自覚して、盛んに猛烈に数十分乃至数時間連続して全身を振ひ動かす行事なり。神代の禊には神々何れも天之峯火夫の神の御名を称へ奉られたるが、現代にては吾人の禊には天之御中主之大神の御名を称へ奉るなり。(霊界物語第75巻)
※天之鳥船:いわゆる船漕ぎ体操
植芝盛平は稽古前には、祝詞など1時間半ほどの神事を行ったと伝えられる。
王貞治の師匠である巨人軍の荒川博。ある日、植芝盛平が持っている木刀めがけて、荒川がバットを横なぎに振った。その瞬間に植芝盛平が気合を入れたら、荒川はバットもろともに吹っ飛んだ。それが2回あって、荒川は植芝盛平に弟子入りした。
植芝盛平は、80過ぎだったが、門人と一緒に30分くらい丁寧に身体をストレッチしていた。80過ぎの老人とは思えないほど身体が柔らかく、古神道独特の体操である天之鳥船も大変柔軟だった。
植芝盛平は、天之鳥船を三回と振魂一回をセットで3セットやっていた。(振魂では右手を下に左手を上に組む)(以上出所:開祖の横顔 14人の直弟子が語る合気道創始者・植芝盛平の言葉と姿 月刊秘伝編集部/編 BABジャパン)
※振魂:振魂の行事なり。之には種々の方式あれども、普通の場合には、両掌を臍あたりの前方に於て十字形に組み合せ、渾身の力を籠めて神名を称へながら、自己の根本精神を自覚して、盛んに猛烈に数十分乃至数時間連続して全身を振ひ動かす行事なり。神代の禊には神々何れも天之峯火夫の神の御名を称へ奉られたるが、現代にては吾人の禊には天之御中主之大神の御名を称へ奉るなり。(霊界物語第75巻)
※天之鳥船:いわゆる船漕ぎ体操
植芝盛平は稽古前には、祝詞など1時間半ほどの神事を行ったと伝えられる。