◎天の浮橋
植芝盛平には、著作はなく、口述本が残っているのみ。技も2回やると盗まれるとし、2回連続で同じ技をやることはなかった。
合気神髄というのが、唯一の武道哲学の解説書のようなものだが、ちょっと見てもらうとわかるが、ほとんどの彼の内弟子でも理解できなかったほどに相当に大本教の教義と世界構造をわかっていないと何を言っているのかわからない内容の代物。
出口王仁三郎は、その人生のクライマックスの一つである蒙古遠征に植芝盛平を帯同し銃殺寸前まで行って、辞世まで残している。
植芝盛平が、銃の弾が来る前に、撃とうという心が白い気になって来るので、それをよければ弾には当たらないという体験をしたのはこの時ではないかと思われる。
ちょっとでも自分が残っているとやられるのを知っていたのだろう。
植芝盛平は、簡単には試合をやらせなかったという。試合は死合であって、命のやりとりだからだそうだ。
植芝盛平がある弟子に、まじめというのを知っているかと問い、『マジメは間を締めること。マヌケは間が抜けているからだぞ』と戒めたという。
この間は隙間でしょうね。
植芝盛平には、著作はなく、口述本が残っているのみ。技も2回やると盗まれるとし、2回連続で同じ技をやることはなかった。
合気神髄というのが、唯一の武道哲学の解説書のようなものだが、ちょっと見てもらうとわかるが、ほとんどの彼の内弟子でも理解できなかったほどに相当に大本教の教義と世界構造をわかっていないと何を言っているのかわからない内容の代物。
出口王仁三郎は、その人生のクライマックスの一つである蒙古遠征に植芝盛平を帯同し銃殺寸前まで行って、辞世まで残している。
植芝盛平が、銃の弾が来る前に、撃とうという心が白い気になって来るので、それをよければ弾には当たらないという体験をしたのはこの時ではないかと思われる。
ちょっとでも自分が残っているとやられるのを知っていたのだろう。
植芝盛平は、簡単には試合をやらせなかったという。試合は死合であって、命のやりとりだからだそうだ。
植芝盛平がある弟子に、まじめというのを知っているかと問い、『マジメは間を締めること。マヌケは間が抜けているからだぞ』と戒めたという。
この間は隙間でしょうね。