◎現代文明人の最後のハードル
神仏を拝むのに理由はなく、只管打坐するのに理由はなく、冥想するのにも理由はない。道元もそういっている。だから他人に勧めにくいというのも事実である。
『正法眼蔵随聞記』「巻3−7」
『私が宋国にいたとき、禅院で、古人の語録を読んでいた。
ある日、示して、云われた。私が宋国にいたとき、禅院で、古人の語録を読んでいた。時に、ある四川省出身の僧でまじめな人がいたが、私に質問した。「なにをしているのか」。
私は云った。「日本に帰って人びとを教化したい」。
その僧は云う。「なにをするのか」。
私は云った。「すべての人びとのお役に立ちたい(利生)ためです」。
僧は云った。「結局、なにをするのか」。
私は、のちにこのわけを考えてみたのだが、語録、公案などを見て、古人たちの事跡を知り、あるいは悩んでいる人びとのために説き聞かせようという、これは、自分のためにも世の人のためにも無用である。
只管打坐を行なって、人生の根本問題(心の理)を明らかにし、仏の教えの根本道理を明らかにすることが出来たならば、ついには一字をも知らなくても、ほかの人たちに伝えるためには、十分であろう。
だから、あの僧は、「結局のところ、なにをするのか」といったのだ。私は、これは真実の道理だと思って、そののち、語録などを見るのは止めて、ひたすら只管打坐して、人は何のために生きるかということ(大事)を明らかにできたのだ。』
只管打坐をすると落ち着くとか、心が静まるとか、集中力が増すとか、差を取るとかって理由をつけていてはならないのだ。
![]()
【悟りとは何か】 【ダンテス・ダイジ】 【クリシュナムルティ】 【OSHOバグワン】 【出口王仁三郎】 【道元】
【生の側から窮める】 【死の側から窮める】 【通俗人間性からのジャンプ】
【肉体】 【エーテル体】 【アストラル体】 【メンタル体】 【コーザル体】 【アートマン】 【ニルヴァーナ】
【アトランティス】 【現代文明】 【日本の行く末】
神仏を拝むのに理由はなく、只管打坐するのに理由はなく、冥想するのにも理由はない。道元もそういっている。だから他人に勧めにくいというのも事実である。
『正法眼蔵随聞記』「巻3−7」
『私が宋国にいたとき、禅院で、古人の語録を読んでいた。
ある日、示して、云われた。私が宋国にいたとき、禅院で、古人の語録を読んでいた。時に、ある四川省出身の僧でまじめな人がいたが、私に質問した。「なにをしているのか」。
私は云った。「日本に帰って人びとを教化したい」。
その僧は云う。「なにをするのか」。
私は云った。「すべての人びとのお役に立ちたい(利生)ためです」。
僧は云った。「結局、なにをするのか」。
私は、のちにこのわけを考えてみたのだが、語録、公案などを見て、古人たちの事跡を知り、あるいは悩んでいる人びとのために説き聞かせようという、これは、自分のためにも世の人のためにも無用である。
只管打坐を行なって、人生の根本問題(心の理)を明らかにし、仏の教えの根本道理を明らかにすることが出来たならば、ついには一字をも知らなくても、ほかの人たちに伝えるためには、十分であろう。
だから、あの僧は、「結局のところ、なにをするのか」といったのだ。私は、これは真実の道理だと思って、そののち、語録などを見るのは止めて、ひたすら只管打坐して、人は何のために生きるかということ(大事)を明らかにできたのだ。』
只管打坐をすると落ち着くとか、心が静まるとか、集中力が増すとか、差を取るとかって理由をつけていてはならないのだ。


【悟りとは何か】 【ダンテス・ダイジ】 【クリシュナムルティ】 【OSHOバグワン】 【出口王仁三郎】 【道元】
【生の側から窮める】 【死の側から窮める】 【通俗人間性からのジャンプ】
【肉体】 【エーテル体】 【アストラル体】 【メンタル体】 【コーザル体】 【アートマン】 【ニルヴァーナ】
【アトランティス】 【現代文明】 【日本の行く末】