◎肉体物質世界だけ見ている科学法則
ローマ教皇来日で、カトリック教会の言説に科学的でないものがあり、それを非科学的と批判する人もいる。曰く、聖母マリアは処女で子供を産んだ。曰く、イエスは死後三日目に洞窟の石扉を開けてどこかへ行ってしまった。曰く、キリスト教は、奇跡を聖者、聖人の認定証拠とする。
科学は、その世界においての科学法則であり、存在する世界が異なれば、ある世界では通じる法則が他の世界では通じない。言語で表現できる世界もあれば、言語で表現できない世界もある。
さて世界には、大別して七つの世界、七つの次元がある。七つの世界とは、肉体・ 物質の世界、エーテル体の世界、アストラル体の世界、メンタル体の世界、コーザル体の世界、アートマン、ニルヴァーナ。
現今の科学、科学法則は、七つの世界のうち肉体・物質の世界に限定した科学法則。その法則をもって七つの世界すべてをカバーする宗教の言説を指して科学法則と矛盾するなどと平気で主張するのは逆にすごいと思う。
七つの世界、七つの次元を平たく見れば、時間のある世界あり、時間のない世界がある。個別ボディが飛べる世界もあり、飛べない世界もある。夢の中では皆飛べる。個人である世界もあれば、世界全体である世界もあり、わたしは、アルファでありオメガであるなどと語る。
この世のように物質である世界もあれば、半物質の世界もある(エーテル体)。
肉体は有限であり、死を予定するボディであるが故に苦悩と絶望を常時随伴する。個人は厳密に言えば期限つきだが、個人と全体のダイナミズム、あるいは個人とニルヴァーナのメカニズムは、現代科学の想像もできないほどビビッドで圧倒的で、それを感知すること自体大いなる神秘なのだろうと思う。
だから軽々に宗教は科学と矛盾した点が多いなどとは言えないと思う。
奇跡と言えば、病気治しやら空中飛行などが代表的だが、誰でも人生の局面局面で神の手が作用した奇跡的なワンシーンがあったことは、一度や二度はあるものではないだろうか。それと他人が気づくことは稀だが。
またカトリックが聖者認定の要素に奇跡を入れているが、神はあまりそのようなことは好まれないのではないかと思う。
ローマ教皇来日で、カトリック教会の言説に科学的でないものがあり、それを非科学的と批判する人もいる。曰く、聖母マリアは処女で子供を産んだ。曰く、イエスは死後三日目に洞窟の石扉を開けてどこかへ行ってしまった。曰く、キリスト教は、奇跡を聖者、聖人の認定証拠とする。
科学は、その世界においての科学法則であり、存在する世界が異なれば、ある世界では通じる法則が他の世界では通じない。言語で表現できる世界もあれば、言語で表現できない世界もある。
さて世界には、大別して七つの世界、七つの次元がある。七つの世界とは、肉体・ 物質の世界、エーテル体の世界、アストラル体の世界、メンタル体の世界、コーザル体の世界、アートマン、ニルヴァーナ。
現今の科学、科学法則は、七つの世界のうち肉体・物質の世界に限定した科学法則。その法則をもって七つの世界すべてをカバーする宗教の言説を指して科学法則と矛盾するなどと平気で主張するのは逆にすごいと思う。
七つの世界、七つの次元を平たく見れば、時間のある世界あり、時間のない世界がある。個別ボディが飛べる世界もあり、飛べない世界もある。夢の中では皆飛べる。個人である世界もあれば、世界全体である世界もあり、わたしは、アルファでありオメガであるなどと語る。
この世のように物質である世界もあれば、半物質の世界もある(エーテル体)。
肉体は有限であり、死を予定するボディであるが故に苦悩と絶望を常時随伴する。個人は厳密に言えば期限つきだが、個人と全体のダイナミズム、あるいは個人とニルヴァーナのメカニズムは、現代科学の想像もできないほどビビッドで圧倒的で、それを感知すること自体大いなる神秘なのだろうと思う。
だから軽々に宗教は科学と矛盾した点が多いなどとは言えないと思う。
奇跡と言えば、病気治しやら空中飛行などが代表的だが、誰でも人生の局面局面で神の手が作用した奇跡的なワンシーンがあったことは、一度や二度はあるものではないだろうか。それと他人が気づくことは稀だが。
またカトリックが聖者認定の要素に奇跡を入れているが、神はあまりそのようなことは好まれないのではないかと思う。