◎愛をもって自由に生きる道
意識が自由に七つの次元を動くと言っても、人間の人間たる所以は社会性と幸福にある。社会性があるということは、孤独でないという側面である。幸福に生きるというのは、生まれたということはやがて死ぬということであり、死により現世に築き上げたすべてを失う運命を片目で見ながら、それでも満足できるということ。
すべての人間はそうした過酷な運命に生きるが、それでも自由に生きたいと願う。20世紀以降、愛なしで自由に生きる道と、愛をもって自由に生きる道の二つが起きた。これは、ライフ・スタイルの孤立化に伴って起きて来た。
愛なしで自由に生きる道とは、金儲け、出世、名誉、リッチな生活など自己実現専一の道で、わりと他人のことはおかまいなし。これは、高い離婚率と独身者の多さに反映されている。全体として見れば地獄拡大、不幸な生活の蔓延となる。
一方愛をもって自由に生きる道とは、神仏を一度は見たことがあり、その上で、天国的なうまいこといっている状況にあっても誇ったり、自慢することなく、謙虚で。また他人に感謝されるようなことをしても感謝を期待しない。
逆に地獄的な状況にあっても、その状況を受け入れ、気まぐれ、気ままに行動しない。
神仏を一度は見たことがあるとは、一種の悟りのことだが、見仏見神はなくとも神仏の思し召しを感じ取ることのできる出来事は、誰でも生涯に一度や二度はあるものではないだろうか。
それをきっかけ、動機とし、冥想を習慣とし、それを深めて愛をもって自由に生きる道を目指すのが現代的ライフ・スタイルだと思う。たとえ度重なる天災、人災に遭ったりしたとしても。
意識が自由に七つの次元を動くと言っても、人間の人間たる所以は社会性と幸福にある。社会性があるということは、孤独でないという側面である。幸福に生きるというのは、生まれたということはやがて死ぬということであり、死により現世に築き上げたすべてを失う運命を片目で見ながら、それでも満足できるということ。
すべての人間はそうした過酷な運命に生きるが、それでも自由に生きたいと願う。20世紀以降、愛なしで自由に生きる道と、愛をもって自由に生きる道の二つが起きた。これは、ライフ・スタイルの孤立化に伴って起きて来た。
愛なしで自由に生きる道とは、金儲け、出世、名誉、リッチな生活など自己実現専一の道で、わりと他人のことはおかまいなし。これは、高い離婚率と独身者の多さに反映されている。全体として見れば地獄拡大、不幸な生活の蔓延となる。
一方愛をもって自由に生きる道とは、神仏を一度は見たことがあり、その上で、天国的なうまいこといっている状況にあっても誇ったり、自慢することなく、謙虚で。また他人に感謝されるようなことをしても感謝を期待しない。
逆に地獄的な状況にあっても、その状況を受け入れ、気まぐれ、気ままに行動しない。
神仏を一度は見たことがあるとは、一種の悟りのことだが、見仏見神はなくとも神仏の思し召しを感じ取ることのできる出来事は、誰でも生涯に一度や二度はあるものではないだろうか。
それをきっかけ、動機とし、冥想を習慣とし、それを深めて愛をもって自由に生きる道を目指すのが現代的ライフ・スタイルだと思う。たとえ度重なる天災、人災に遭ったりしたとしても。