◎なにごとの おはしますをば しらねども
西行は、悟った人ではないが、以下の3つの大仕事をやった。
崇徳上皇は、保元の乱を起こして敗れ讃岐に流された。そこで自らの舌を噛み切ってその血で書いた魔経を海に鎮めた。その経典には、「我願わくば五部大乗経の大善根を三悪道に抛(なげう)って日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」という天皇制そのものへの呪詛が書いてあったという。それを鎮めに行ったのが西行。言向け和す。
西行は東大寺再興の援助を得るため、鎌倉の頼朝を訪問し、その足で平泉へ行き、黄金3万両を供出させ、東大寺まで運んだ。この輸送は、距離も距離だし、生半可な武装警備では成らない。
さらに西行は、私幣禁断の上、仏僧の入ることも許されなかった伊勢神宮に入った。入った僧侶は西行が初めてで、数百人もの仏教信者を神宮に招き入れて宴会までやったという。そこで神もほとけなりけりなどと嘯いた。
『伊勢にまかりたるけるに、大神宮にまゐりてよみける
さかき葉に 心かけむ ゆふしでて 思へば神もほとけなりけり
高野の山を住みうかれて後、伊勢国二見浦の山寺に侍りけるに、太神宮の御山をば神路山と申す、大日如来の御垂迹を思ひてよみ侍りける
深く入りて 神路の奥を 尋ぬれば 又うへもなく 峯の松風》。
さらに、
なにごとの おはしますをば しらねども
かたじけなさに なみだこぼるる
天皇の側にも武士の側にも相当に影響力のあった人物であっただろう。
西行は、悟った人ではないが、以下の3つの大仕事をやった。
崇徳上皇は、保元の乱を起こして敗れ讃岐に流された。そこで自らの舌を噛み切ってその血で書いた魔経を海に鎮めた。その経典には、「我願わくば五部大乗経の大善根を三悪道に抛(なげう)って日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」という天皇制そのものへの呪詛が書いてあったという。それを鎮めに行ったのが西行。言向け和す。
西行は東大寺再興の援助を得るため、鎌倉の頼朝を訪問し、その足で平泉へ行き、黄金3万両を供出させ、東大寺まで運んだ。この輸送は、距離も距離だし、生半可な武装警備では成らない。
さらに西行は、私幣禁断の上、仏僧の入ることも許されなかった伊勢神宮に入った。入った僧侶は西行が初めてで、数百人もの仏教信者を神宮に招き入れて宴会までやったという。そこで神もほとけなりけりなどと嘯いた。
『伊勢にまかりたるけるに、大神宮にまゐりてよみける
さかき葉に 心かけむ ゆふしでて 思へば神もほとけなりけり
高野の山を住みうかれて後、伊勢国二見浦の山寺に侍りけるに、太神宮の御山をば神路山と申す、大日如来の御垂迹を思ひてよみ侍りける
深く入りて 神路の奥を 尋ぬれば 又うへもなく 峯の松風》。
さらに、
なにごとの おはしますをば しらねども
かたじけなさに なみだこぼるる
天皇の側にも武士の側にも相当に影響力のあった人物であっただろう。