◎記憶から非記憶へ
第三の封印であるサマヤ・ムドラーとは、この瞬間にあること。
これを成功させるためには、OSHOバグワンは、思考の動きを観照しなければならないとする。これは、クリシュナムルティが『無選択の気づき』と呼んだものであって、判断や反応することなく思考を観照し続ければ、ある日思考の速度が落ちる。
そしてある日、隙間が現れ始め、思考が去った後、しばらく次の思考が現れないということが起こる。こうして思考は何時間も消え、無思考となる。
これを第一の気づきとし、記憶から非記憶への架け橋と呼ぶ。だがここでは、観照している自分、見ている自分は何も変わっちゃいない。
(以上参照:タントラの変容/和尚/市民出版社P214-217)
これが禅僧臨済の言うところの境を奪うという視点ではないかと思う。奪境とは表現が短すぎてよくわからないところがあるが、それは禅ではいつものこと。
そして第二の気づきに進む。
第三の封印であるサマヤ・ムドラーとは、この瞬間にあること。
これを成功させるためには、OSHOバグワンは、思考の動きを観照しなければならないとする。これは、クリシュナムルティが『無選択の気づき』と呼んだものであって、判断や反応することなく思考を観照し続ければ、ある日思考の速度が落ちる。
そしてある日、隙間が現れ始め、思考が去った後、しばらく次の思考が現れないということが起こる。こうして思考は何時間も消え、無思考となる。
これを第一の気づきとし、記憶から非記憶への架け橋と呼ぶ。だがここでは、観照している自分、見ている自分は何も変わっちゃいない。
(以上参照:タントラの変容/和尚/市民出版社P214-217)
これが禅僧臨済の言うところの境を奪うという視点ではないかと思う。奪境とは表現が短すぎてよくわからないところがあるが、それは禅ではいつものこと。
そして第二の気づきに進む。