◎マントラは不思議である。唱えれば無明を除く
これが、空海(般若心経秘鍵)だと、
最初の往けりは声聞を超える
二番目の往けりは、縁覚を超える
三番目の往けりは、諸大乗で最も優れたものを超える
四番目の往けりは、真言曼荼羅は世界全体だがその完璧を超える
これに漢詩がつけてあって、
『マントラは不思議である。唱えれば無明を除く、
一字に千の理を含み、この身このままで覚る(即身に法如を証す)。
超えて行き超えて行き、アートマンに至り(行行として円寂に至り)
去って去ってニルヴァーナ(原初)に入る。
迷いの世界は、ホテルのようなものだ(三界は客舎の如し)
アートマンは、本来の自己である(一心はこれ本居なり)』
ここで空海は、「ギャテー云々のマントラは意味がわからなくても唱えさえすれば、いつかは大悟に至る」などとことさらに述べるが、OSHOバグワンはちゃんと字義をわきまえて唱えなさいと言う。
この辺は、マントラ・ヨーガがいかにしてニルヴァーナに至るかの順路と、覚者特有の未悟の者と既に悟った者の差がないという見方と、行法と結果(即身成仏)に連動がないという法則を踏まえて言っているのか、そうでないのかはわからない。また言霊の見方からすれば、唱える人物自身のレベル、清浄度が問題とされる
なおOSHOバグワンの優れた点は、サンスクリットの字義をネイティブスピーカーとして解釈できているところ。この辺は伝統的な密教学者の解釈とは異なっている部分がある。
彼は文末の「そわか」は、スヴァーハであるとし、感嘆を示すとする。そして釈迦は音に聞こえた「マントラ授与者」。彼が与えたこのマントラこそが彼が与えた最良のマントラ。これにより人は、迷いを払拭し、暗闇を破壊し、無上のエクスタシーに入る。
これが、空海(般若心経秘鍵)だと、
最初の往けりは声聞を超える
二番目の往けりは、縁覚を超える
三番目の往けりは、諸大乗で最も優れたものを超える
四番目の往けりは、真言曼荼羅は世界全体だがその完璧を超える
これに漢詩がつけてあって、
『マントラは不思議である。唱えれば無明を除く、
一字に千の理を含み、この身このままで覚る(即身に法如を証す)。
超えて行き超えて行き、アートマンに至り(行行として円寂に至り)
去って去ってニルヴァーナ(原初)に入る。
迷いの世界は、ホテルのようなものだ(三界は客舎の如し)
アートマンは、本来の自己である(一心はこれ本居なり)』
ここで空海は、「ギャテー云々のマントラは意味がわからなくても唱えさえすれば、いつかは大悟に至る」などとことさらに述べるが、OSHOバグワンはちゃんと字義をわきまえて唱えなさいと言う。
この辺は、マントラ・ヨーガがいかにしてニルヴァーナに至るかの順路と、覚者特有の未悟の者と既に悟った者の差がないという見方と、行法と結果(即身成仏)に連動がないという法則を踏まえて言っているのか、そうでないのかはわからない。また言霊の見方からすれば、唱える人物自身のレベル、清浄度が問題とされる
なおOSHOバグワンの優れた点は、サンスクリットの字義をネイティブスピーカーとして解釈できているところ。この辺は伝統的な密教学者の解釈とは異なっている部分がある。
彼は文末の「そわか」は、スヴァーハであるとし、感嘆を示すとする。そして釈迦は音に聞こえた「マントラ授与者」。彼が与えたこのマントラこそが彼が与えた最良のマントラ。これにより人は、迷いを払拭し、暗闇を破壊し、無上のエクスタシーに入る。