◎庶民が唱えれば、疾疫・邪気(コロナも)が家中に入らない
7世紀玄奘三蔵がインドからアフガニスタン経由で長安に帰朝し、大雁塔で仏典の翻訳にいそしんだ無数の経典の中に般若心経もあった。漢訳作業中に、何を思ったか、『ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじそわか』だけ、翻訳せず音を当てただけとした。
約百年の後、天平宝字2年8月淳仁天皇が御詔勅を出し、このマントラを天皇が唱えれば、兵革・災難が国内に入らない、庶民が唱えれば、疾疫・邪気が家中に入らない、だから皆さん静かに念じなさい、と。
『摩訶般若波羅蜜多は、諸仏の母なり。四句の偈などを受持し読誦すれば、福寿を得ること思量すべからず。
これをもって天子念ずれば、兵革・災難、国内に入らず、庶人念ずれば、疾疫・邪気、家中に入らず。惑を断ち、祥を獲ること、これに過ぎたるはなし。
宜しく天下諸国に告げ、男女老少を論ずることなく、口にしずかに般若波羅蜜多を念ずべし。』(続日本紀)
そのマントラの意味などわからなくても良いが、とにかく唱えれば良いことがあると聞かされて唱えるのは子供だけ。人はやがて、そのマントラの意味と理屈を必ず知ろうとするもの。
人は、知的理解があって初めて能動的に行に取り組む。『意味が分からなくてもよい』というのは、いわゆる「つかみ」。
また知的理解というのは、一つの落とし穴でもあるのだが、無数の隘路、落とし穴がある中で、正師に出会い、本人にもっとも適した解釈へのアドバイスをもらい、適切に学ぶことができれば、正しい知的理解となり、このマントラを唱えるという無意識を操作する行法に入れる。適切に学ぶというのは言うのは易いが、簡単ではないとも言える。
それを踏まえての淳仁天皇が御詔勅があるのだろうと思う。
このブログも今日で、満16年となりました。ご来訪を感謝致します。
7世紀玄奘三蔵がインドからアフガニスタン経由で長安に帰朝し、大雁塔で仏典の翻訳にいそしんだ無数の経典の中に般若心経もあった。漢訳作業中に、何を思ったか、『ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじそわか』だけ、翻訳せず音を当てただけとした。
約百年の後、天平宝字2年8月淳仁天皇が御詔勅を出し、このマントラを天皇が唱えれば、兵革・災難が国内に入らない、庶民が唱えれば、疾疫・邪気が家中に入らない、だから皆さん静かに念じなさい、と。
『摩訶般若波羅蜜多は、諸仏の母なり。四句の偈などを受持し読誦すれば、福寿を得ること思量すべからず。
これをもって天子念ずれば、兵革・災難、国内に入らず、庶人念ずれば、疾疫・邪気、家中に入らず。惑を断ち、祥を獲ること、これに過ぎたるはなし。
宜しく天下諸国に告げ、男女老少を論ずることなく、口にしずかに般若波羅蜜多を念ずべし。』(続日本紀)
そのマントラの意味などわからなくても良いが、とにかく唱えれば良いことがあると聞かされて唱えるのは子供だけ。人はやがて、そのマントラの意味と理屈を必ず知ろうとするもの。
人は、知的理解があって初めて能動的に行に取り組む。『意味が分からなくてもよい』というのは、いわゆる「つかみ」。
また知的理解というのは、一つの落とし穴でもあるのだが、無数の隘路、落とし穴がある中で、正師に出会い、本人にもっとも適した解釈へのアドバイスをもらい、適切に学ぶことができれば、正しい知的理解となり、このマントラを唱えるという無意識を操作する行法に入れる。適切に学ぶというのは言うのは易いが、簡単ではないとも言える。
それを踏まえての淳仁天皇が御詔勅があるのだろうと思う。
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