◎肉体−27 ローレベル・トランス−7
PTSD−◎狭窄(意識のひきこもり)
慢性的な心的外傷事件にさらされた人の反応としては、過覚醒、侵入(トラウマのフラッシュバック)、狭窄(意識のひきこもり)の3つの症状が出るが、侵入と狭窄が症状としてはより重篤である。
過覚醒となる原因は、トラウマである事件の記憶が不意に訪れることへの心理的防禦であるとも考えられ、この結果爽快な気分や落ち着いた気分を持つことが少なくなる。更に頭痛、胃腸障害、骨盤痛などの肉体的症状も広範に見られる。
こうした過覚醒の心身の下で一番問題となるのは心の狭窄である。飢えや寒さや苦痛という肉体感覚に耐えて、恐怖と屈辱という感情の反応を押さえて、最後には食事を与えられるだけで何の自由もなく、ただ生命を維持しているだけの状態となると、人は心を狭窄することになりがちである。具体的には次のような反応である。
1.解離
自分の肉体や知覚や感情が意識化されなかったり、感じられなかったり、なくなったように感じられたりすること。
2.意志による思考や記憶の抑制
将来のことを思うと強烈な希望や憧れが浮かんできて、我慢できなくなる。その思いは、まもなく失望に変わり、やがて絶望に変わっていく。それを繰り返すことによって、まず未来のことを考えないようにする。次に未来のことを考える原因となっている過去のことを思い出さないようにしていく。こうして被害者は、未来も過去も捨てて、果てしない「現在」だけに生きる。
3.極端な自己の過少評価、完全な否認
世界や他人のすべてから見捨てられてしまったという環境に長くいることで、自分はロボットや動物や植物であると思い込むほどの過少な自己イメージを持つ。あるいは、自分は他人から人間として認められる資格がない、ないしは人間ではないと思い込むこと。
4.トランス状態に入る
独房に長期に監禁されている場合に、トランスに入り、幻覚を見るとか、実在しているものの視覚像を消すようなことをする。
以上のような事柄は、DV(家庭内暴力)や政治犯収容所やカルト教団などの厳しい環境下で見られるものであるが、修道院や禅の専門道場などの専門的な冥想修行の場でも、こうした「飢えや寒さや苦痛に耐え、感情や思考を抑える」という規則が、戒律や清規という形であり、意識の最も潜在的な部分を露出させる道具立ての一つになっていることを見逃すことはできない。
ただ冥想修行と決定的に違うのは、冥想では、そのような厳しい修行に適する精神的な成熟度が十分でない者には決してそうした修行をさせることはないが、DV家庭や政治犯収容所では、精神的な成熟度などはお構いなしに、ただ虐待だけが繰り返されるところである。
神にオープンになるのと、支配者にオープンになるのは、全く次元が異なる。またOSHOバグワンは「無意識には宝がある」と言ったが、無意識にはゴミもあればとんでもないものもある。
【ザ・ジャンプ・アウト 100】
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過覚醒となる原因は、トラウマである事件の記憶が不意に訪れることへの心理的防禦であるとも考えられ、この結果爽快な気分や落ち着いた気分を持つことが少なくなる。更に頭痛、胃腸障害、骨盤痛などの肉体的症状も広範に見られる。
こうした過覚醒の心身の下で一番問題となるのは心の狭窄である。飢えや寒さや苦痛という肉体感覚に耐えて、恐怖と屈辱という感情の反応を押さえて、最後には食事を与えられるだけで何の自由もなく、ただ生命を維持しているだけの状態となると、人は心を狭窄することになりがちである。具体的には次のような反応である。
1.解離
自分の肉体や知覚や感情が意識化されなかったり、感じられなかったり、なくなったように感じられたりすること。
2.意志による思考や記憶の抑制
将来のことを思うと強烈な希望や憧れが浮かんできて、我慢できなくなる。その思いは、まもなく失望に変わり、やがて絶望に変わっていく。それを繰り返すことによって、まず未来のことを考えないようにする。次に未来のことを考える原因となっている過去のことを思い出さないようにしていく。こうして被害者は、未来も過去も捨てて、果てしない「現在」だけに生きる。
3.極端な自己の過少評価、完全な否認
世界や他人のすべてから見捨てられてしまったという環境に長くいることで、自分はロボットや動物や植物であると思い込むほどの過少な自己イメージを持つ。あるいは、自分は他人から人間として認められる資格がない、ないしは人間ではないと思い込むこと。
4.トランス状態に入る
独房に長期に監禁されている場合に、トランスに入り、幻覚を見るとか、実在しているものの視覚像を消すようなことをする。
以上のような事柄は、DV(家庭内暴力)や政治犯収容所やカルト教団などの厳しい環境下で見られるものであるが、修道院や禅の専門道場などの専門的な冥想修行の場でも、こうした「飢えや寒さや苦痛に耐え、感情や思考を抑える」という規則が、戒律や清規という形であり、意識の最も潜在的な部分を露出させる道具立ての一つになっていることを見逃すことはできない。
ただ冥想修行と決定的に違うのは、冥想では、そのような厳しい修行に適する精神的な成熟度が十分でない者には決してそうした修行をさせることはないが、DV家庭や政治犯収容所では、精神的な成熟度などはお構いなしに、ただ虐待だけが繰り返されるところである。
神にオープンになるのと、支配者にオープンになるのは、全く次元が異なる。またOSHOバグワンは「無意識には宝がある」と言ったが、無意識にはゴミもあればとんでもないものもある。
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