◎倉田百三
昭和の初めの流行作家だった倉田百三。昭和六年、彼は平林僧堂にて、峯尾大休に付いて参禅した。その時、
『私は寺に帰り、つき上げて来る法悦を抑へ、静かに禅堂に打坐して人室の時を待った。宇宙が呼吸しぱっちりと目をみ開いてゐる。 これぞみ仏だ!
老師に見(まみ)えた時、私はもう一語も発せず、説明もしなかった。ただ一声絶叫したのみであった。
法そのものが其処にましまし、私も、老師もなかった。権威そのものが臨在した。
私はもう「受取る」といふことの必要でない、そして可能でない世界に出てゐた。宇宙と己とがひとつである時、宇宙を受取るとはナンセンスである。其処にはたゞ一枚の「そのまま」があるのみ。』
(倉田百三/われぞみ仏から引用)
この中で引っかかるのは、『私はもう「受取る」といふことの必要でない、そして可能でない世界に出てゐた。』。出ちゃっている自分はどこにいるのだろうか。見ている自分を残しているのであれば、宇宙と己とがひとつではないのでは。
昭和の初めの流行作家だった倉田百三。昭和六年、彼は平林僧堂にて、峯尾大休に付いて参禅した。その時、
『私は寺に帰り、つき上げて来る法悦を抑へ、静かに禅堂に打坐して人室の時を待った。宇宙が呼吸しぱっちりと目をみ開いてゐる。 これぞみ仏だ!
老師に見(まみ)えた時、私はもう一語も発せず、説明もしなかった。ただ一声絶叫したのみであった。
法そのものが其処にましまし、私も、老師もなかった。権威そのものが臨在した。
私はもう「受取る」といふことの必要でない、そして可能でない世界に出てゐた。宇宙と己とがひとつである時、宇宙を受取るとはナンセンスである。其処にはたゞ一枚の「そのまま」があるのみ。』
(倉田百三/われぞみ仏から引用)
この中で引っかかるのは、『私はもう「受取る」といふことの必要でない、そして可能でない世界に出てゐた。』。出ちゃっている自分はどこにいるのだろうか。見ている自分を残しているのであれば、宇宙と己とがひとつではないのでは。