◎脳内麻薬と脳外麻薬
物質または肉体を真っ先に見る現代科学では、「大悟覚醒は、脳内で悟りのための脳内麻薬がさる一定条件下で生成されて、それで大悟覚醒と呼ばれるとある窮極に見える記憶が発現すること」などという仮説を思いつく。
どうやって悟りのための脳内麻薬を生成するのかと言えば、只管打坐の専門道場で定められた修行法で何日か何か月かを経たり、イエスの一生を想起し観想して、スティグマタまで出現するほどイエスになり切ったりする。あるいは、一週間洞窟に籠って断食断水の上で、鎮魂行を行ったり、日がな南無阿弥陀仏を唱えて、すべてが南無阿弥陀仏である世界に入ったり。
こうした行で脳内麻薬を生成する方法が伝統的であって、これらは『高山病』にならない比較的安全な方法だったかもしれない。
古代中国では、このような手法を内丹と称し、これに対し外から脳内麻薬を注入してやろうと考えた。これを外丹と称する。西洋錬金術も同様。
こうした考え方は、初めての見神見仏用に研究され、さらに覚者たちは、悟りを維持するためのものとしても薬剤を用いた。それは時に酒だったり、ラーマクリシュナでは大麻入りドリンクだったりもした。もっともソーマ・ヨーガの世界とは、外丹そのものである。
しかし人間にとっての悟りへの道は、肉体の脳内麻薬生成・投入の道だけではない。ダンテス・ダイジが指摘するように、
アストラル体を起点とするルート・・・クンダリーニ・ヨーガ
エーテル体を起点とするルート・・・マントラ禅、丹田禅
メンタル体を起点とするルート・・・公案禅、只管打坐
という肉体以外のルートがあるのだ。
錬金術書などを読んでいると出てくる「かわいた道」「近道」とは只管打坐のことかと思っていたが、わりとソーマ・ヨーガのことかも知れない。
物質または肉体を真っ先に見る現代科学では、「大悟覚醒は、脳内で悟りのための脳内麻薬がさる一定条件下で生成されて、それで大悟覚醒と呼ばれるとある窮極に見える記憶が発現すること」などという仮説を思いつく。
どうやって悟りのための脳内麻薬を生成するのかと言えば、只管打坐の専門道場で定められた修行法で何日か何か月かを経たり、イエスの一生を想起し観想して、スティグマタまで出現するほどイエスになり切ったりする。あるいは、一週間洞窟に籠って断食断水の上で、鎮魂行を行ったり、日がな南無阿弥陀仏を唱えて、すべてが南無阿弥陀仏である世界に入ったり。
こうした行で脳内麻薬を生成する方法が伝統的であって、これらは『高山病』にならない比較的安全な方法だったかもしれない。
古代中国では、このような手法を内丹と称し、これに対し外から脳内麻薬を注入してやろうと考えた。これを外丹と称する。西洋錬金術も同様。
こうした考え方は、初めての見神見仏用に研究され、さらに覚者たちは、悟りを維持するためのものとしても薬剤を用いた。それは時に酒だったり、ラーマクリシュナでは大麻入りドリンクだったりもした。もっともソーマ・ヨーガの世界とは、外丹そのものである。
しかし人間にとっての悟りへの道は、肉体の脳内麻薬生成・投入の道だけではない。ダンテス・ダイジが指摘するように、
アストラル体を起点とするルート・・・クンダリーニ・ヨーガ
エーテル体を起点とするルート・・・マントラ禅、丹田禅
メンタル体を起点とするルート・・・公案禅、只管打坐
という肉体以外のルートがあるのだ。
錬金術書などを読んでいると出てくる「かわいた道」「近道」とは只管打坐のことかと思っていたが、わりとソーマ・ヨーガのことかも知れない。