Quantcast
Channel: アヴァンギャルド精神世界
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3535

ブラヴァツキー夫人メモ

$
0
0
◎クリシュナムルティへ

ブラヴァツキー夫人は、霊がかり時代から脱霊がかりへのきっかけを作った人物。彼女のエピソードは、いろいろな本に断片的に出ていて全容がつかみにくかったのだが、「心霊の文化史/吉村正和」のを読んで、いろいろな基本的疑問が解けた。
というよりも、西洋霊がかり系はあまり熱心に調べてこなかったのではあるが・・・・

ブラヴァツキー夫人は、1831年ウクライナで、ドイツ系貴族の父とロシアの名門出身の母の子として誕生。
1844年にロンドン訪問。
1848年にアルメニアのエリヴァン地方副知事ブラヴァツキー氏と結婚。結婚は、年齢差がありすぎ、離婚もできなかったことから、以後ブラヴァツキー夫人として世界を放浪。

1875年神智学協会が、オルコット大佐を会長に正式発足し、ブラヴァツキー夫人は交信秘書に選ばれた。ブラヴァツキー夫人は、透視も予言も霊媒も行っており、後に糾弾されたトリック超能力ばかりではなかったようだ。

彼女は、霊媒は、個人の死後そのアストラル体やコーザル体そのものと交信しているのではなく、死後しばらく残存しているアストラル体の殻に入り込んで故人のふりをしていると主張し、心霊主義者が神智学から離反するきっかけになった。

1878年彼女はニューヨークからリバプール経由インドに入り、インドで、奥義を継承する「見えざる師」なるマハトマ(偉大な魂)から、チベットでその奥義を伝授されたと主張。またマハトマは複数いて、グレイト・ホワイト同胞団を形成。グレイト・ホワイト同胞団メンバーは、アブラハム、モーセ、ソロモン、孔子、ブッダ、老子、ソクラテス、プラトン、イエス、ヤーコプ・ベーメ、フランシス・ベーコンなどであり、キリスト教の影響の強い西洋人にとっては、抵抗のあるものであった。

こうした心霊的側面とは別に、インド思想の影響か、真我なる高次の自己の覚醒を目的とした。
神智学では、人格神を立てないが、インド思想由来の七つの身体論は取り込んだ。この中で本来の自己なる真我の実現を目標に置いた。

こうして教義の整理が進む中、1884年クーロン事件が発生。マドラス郊外の神智学協会本部では、当時マハトマからの手紙が聖容器から突然現れたかのように見せるトリックをブラヴァツキー夫人がやっていた。
当時この助手をエマ・クーロンが行っていたが、解雇された腹いせに、「マハトマの手紙」がブラヴァツキー夫人によって書かれた証拠と共に、「奇跡」の手の内を暴露したのだ。これにより神智学協会は大きな打撃を受けた。

その後彼女は、シークレット・ドクトリン(難解すぎてほとんど誰もわからなかった?)と神智学の鍵を出版し、1891年に逝去。

この間、イエイツや、アニー・ペザント、リードビーターらが神智学協会に参加。クリシュナムルティを発見するなどの事績を挙げて行くことになる。

聖なる教義の理解を促進する方便はどの宗教でもあるものだが、超能力を騙る場合は、多くこのような結果になるもの。だが、ブラヴァツキー夫人なかりせば、只管打坐のクリシュナムルティが世に出ることはなく、引いては、クリシュナムルティ盟友ダンテス・ダイジが、巻頭にクリシュナムルティの成果の未達成を引き継ぐ意思を明らかにして「ニルヴァーナのプロセスとテクニック」を世に問うこともなかっただろう。

マハトマは高級神霊だが、当時は高級神霊なくして宗教の理解はできにくかったのだろう。

とにもかくにも19世紀後半のサブカル・シーンに、ブラヴァツキー夫人は、七つの身体論を放り込んだのだ。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 3535

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>