◎チョギャム・トゥルンパ
『精神の物質主義』とは、チョギャム・トゥルンパ・リンポチェの造語。聖典、秘儀、教義、聖像、聖具、深層心理学、ドラッグ、催眠術、マントラ、聖者の一生、聖者のシンボルなど、スピリチュアル的なあるいは、聖なるものなら何でもよいが、それを自己の正当化、自己の慰めに用いることをいう。
さらに呼吸法、ハタ・ヨーガ、禅瞑想、自己放下、呼吸を見つめる、イエスの一生を想起して自分もイエスと一体化する、更には日々の仕事を精密にやり続ける事上磨錬など、芸道、武道に打ち込むなどもある。
一行専心というのは、一つのパフォーマンスに集中し続けることで、かえって自分がなくなることを目指すもの。
修行の進み方は、人によって千差万別であり、一つの行に打ち込めば打ち込むほど、それにつれて自分というものが段々なくなっていくみたいな一本調子なものはむしろ少ないのではないか。
瞑想により悟って、何か今の自分とは違う素晴らしい人物になるという発想自体が、『精神の物質主義』であり、問題外であるというのは、入門したての冥想修行者にとってはショックなものである。
冥想修行は、資格試験とは違い、さる手法を何日か学んでいけば誰でもある段階に到達できるというものでもない。おまけに覚者は、ことごとく、その身そのままで何の問題もなく、既にみんな神だった、というような修行者のやる気を失わせる紛らわしいことまで言う。
チョギャム・トゥルンパは、1970年代のアメリカのスピリチュアル・シーンをリードしたが、俗物だったように見える。大酒飲みで、交通事故の後遺症に苦しみ、出家者をやめて妻帯し三人の子までなし、俗物に見えるが、見どころはあったように見える。
彼が指名した後継者のイタリア系米人のトマス・リッチは、エイズにかかりながら、蔓延防止措置をとらないまま多くの男女の信者と性的関係を持ち続けたのは、大きなスキャンダルとなり、まもなく彼は教団から去ることになった。エイズが治らない1980年代後半のことである。
あの大物禅僧臨済も後継者では臨終の床で愕然とさせられた。いわんやチョギャム・トゥルンパの場合をや。
『精神の物質主義』とは、チョギャム・トゥルンパ・リンポチェの造語。聖典、秘儀、教義、聖像、聖具、深層心理学、ドラッグ、催眠術、マントラ、聖者の一生、聖者のシンボルなど、スピリチュアル的なあるいは、聖なるものなら何でもよいが、それを自己の正当化、自己の慰めに用いることをいう。
さらに呼吸法、ハタ・ヨーガ、禅瞑想、自己放下、呼吸を見つめる、イエスの一生を想起して自分もイエスと一体化する、更には日々の仕事を精密にやり続ける事上磨錬など、芸道、武道に打ち込むなどもある。
一行専心というのは、一つのパフォーマンスに集中し続けることで、かえって自分がなくなることを目指すもの。
修行の進み方は、人によって千差万別であり、一つの行に打ち込めば打ち込むほど、それにつれて自分というものが段々なくなっていくみたいな一本調子なものはむしろ少ないのではないか。
瞑想により悟って、何か今の自分とは違う素晴らしい人物になるという発想自体が、『精神の物質主義』であり、問題外であるというのは、入門したての冥想修行者にとってはショックなものである。
冥想修行は、資格試験とは違い、さる手法を何日か学んでいけば誰でもある段階に到達できるというものでもない。おまけに覚者は、ことごとく、その身そのままで何の問題もなく、既にみんな神だった、というような修行者のやる気を失わせる紛らわしいことまで言う。
チョギャム・トゥルンパは、1970年代のアメリカのスピリチュアル・シーンをリードしたが、俗物だったように見える。大酒飲みで、交通事故の後遺症に苦しみ、出家者をやめて妻帯し三人の子までなし、俗物に見えるが、見どころはあったように見える。
彼が指名した後継者のイタリア系米人のトマス・リッチは、エイズにかかりながら、蔓延防止措置をとらないまま多くの男女の信者と性的関係を持ち続けたのは、大きなスキャンダルとなり、まもなく彼は教団から去ることになった。エイズが治らない1980年代後半のことである。
あの大物禅僧臨済も後継者では臨終の床で愕然とさせられた。いわんやチョギャム・トゥルンパの場合をや。