◎上下の差別もつけず平等に世を救ひます伊都能売の神
出口王仁三郎の両性具有イメージとは、人間の完成形、西洋で言えば原人間のイメージである。その由来するところは、古事記でスサノオ男神とアマテラス女神が天の安の川原で仲直り誓約をするシーンにおいて、天照大神の霊と、素盞嗚尊の霊とが合体したのが、伊都能売。
万人が神知るというのは、万人が両性具有なる伊都能売となるということ。
余談だが、天照大神を以て主神とする神道のあり方について、出口王仁三郎は不満をもっていたようだ。古事記では、当然に天御中主神が主神であり、それは、振魂(ふるたま)の行事にて、渾身の力を籠めて《あめのみなかぬしのおほかみ》の神名を称えながら云々というところでも見てとれる。
古神道には、原古事記があったであろうし、アトランティス沈没以後のスサノオは、当初天御中主神を主神としていたはず。だが、スサノオの領地がユーラシア全体から徐々に東漸し縮小し、朝鮮以東、日本のみと段階的に逐われるにつれ、またぐんと時代が下がって、仏教が日本に輸入され、中国軍に日本が進駐された時代もあり、神仏習合もあり、いつしかピュアでオリジナルだった古神道は、主神を天照大神に換えるに至った経緯が想像される。
出口王仁三郎の「大本の道」に伊都能売に関する短歌の続き。
『伊都能売(二)
三千年(みちとせ)を忍びたまひし親神の光はここに伊都能売(いづのめ)の神
乱れたる世をたださむと伊都能売の神はみ空ゆ降りたまへり
地の上に天津御国(みくに)を建てむため天降(あも)りたまひし伊都能売の神
古き世の神の教をあたらしく世に伝へむと伊都能売の神
宇宙間あらゆるものの大本を解き明かさむと伊都能売の神
伊都能売のまことの神は人びとの罪あやまちを審(さば)きたまはず
広き世にひろき教をひらきつつ狭き教をただす伊都能売
渇きたる教に真清水(ましみづ)あたへつつ死神死仏(ししんしぶつ)を活かす伊都能売
上下(かみしも)の差別(けじめ)もつけず平等に世を救ひます伊都能売の神
宗教や政治文学芸術になりはひ幸(さちは)ふ伊都能売の神
国は富み世人(よびと)さかゆる神の代(よ)を開かせ給ふは伊都能売の神
天も地もみな伊都能売のいさをしに安く治まる神代は近めり
山川もなびき伏すらむ伊都能売の神の表に出でます御代は』
この一連の伊都能売の歌を読むと、伊都能売とは人間のことではなく、高級神霊のことと思われる。だが、前の段落に『キリストの再臨、弥勒(マイトレーヤ)の下生とは、伊都能売の神の顕現』という歌が出てくる。つまり神知る人間こそが伊都能売の神の顕現であって、神知る人間には上下の別はある(キリストの再臨、弥勒(マイトレーヤ)の下生は、上。)が、人間すべて神を知っているから、伊都能売の神は『上下の差別もつけず平等に世を救う』のだということだと思う。
出口王仁三郎の両性具有イメージとは、人間の完成形、西洋で言えば原人間のイメージである。その由来するところは、古事記でスサノオ男神とアマテラス女神が天の安の川原で仲直り誓約をするシーンにおいて、天照大神の霊と、素盞嗚尊の霊とが合体したのが、伊都能売。
万人が神知るというのは、万人が両性具有なる伊都能売となるということ。
余談だが、天照大神を以て主神とする神道のあり方について、出口王仁三郎は不満をもっていたようだ。古事記では、当然に天御中主神が主神であり、それは、振魂(ふるたま)の行事にて、渾身の力を籠めて《あめのみなかぬしのおほかみ》の神名を称えながら云々というところでも見てとれる。
古神道には、原古事記があったであろうし、アトランティス沈没以後のスサノオは、当初天御中主神を主神としていたはず。だが、スサノオの領地がユーラシア全体から徐々に東漸し縮小し、朝鮮以東、日本のみと段階的に逐われるにつれ、またぐんと時代が下がって、仏教が日本に輸入され、中国軍に日本が進駐された時代もあり、神仏習合もあり、いつしかピュアでオリジナルだった古神道は、主神を天照大神に換えるに至った経緯が想像される。
出口王仁三郎の「大本の道」に伊都能売に関する短歌の続き。
『伊都能売(二)
三千年(みちとせ)を忍びたまひし親神の光はここに伊都能売(いづのめ)の神
乱れたる世をたださむと伊都能売の神はみ空ゆ降りたまへり
地の上に天津御国(みくに)を建てむため天降(あも)りたまひし伊都能売の神
古き世の神の教をあたらしく世に伝へむと伊都能売の神
宇宙間あらゆるものの大本を解き明かさむと伊都能売の神
伊都能売のまことの神は人びとの罪あやまちを審(さば)きたまはず
広き世にひろき教をひらきつつ狭き教をただす伊都能売
渇きたる教に真清水(ましみづ)あたへつつ死神死仏(ししんしぶつ)を活かす伊都能売
上下(かみしも)の差別(けじめ)もつけず平等に世を救ひます伊都能売の神
宗教や政治文学芸術になりはひ幸(さちは)ふ伊都能売の神
国は富み世人(よびと)さかゆる神の代(よ)を開かせ給ふは伊都能売の神
天も地もみな伊都能売のいさをしに安く治まる神代は近めり
山川もなびき伏すらむ伊都能売の神の表に出でます御代は』
この一連の伊都能売の歌を読むと、伊都能売とは人間のことではなく、高級神霊のことと思われる。だが、前の段落に『キリストの再臨、弥勒(マイトレーヤ)の下生とは、伊都能売の神の顕現』という歌が出てくる。つまり神知る人間こそが伊都能売の神の顕現であって、神知る人間には上下の別はある(キリストの再臨、弥勒(マイトレーヤ)の下生は、上。)が、人間すべて神を知っているから、伊都能売の神は『上下の差別もつけず平等に世を救う』のだということだと思う。