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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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なりきるためには人間であることを否定する練習

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◎このまま死んでもいいと思って坐っていた

クンダリーニ・ヨーギ本山博の述懐。
『本当に毎日毎日真剣勝負でした。もうこのまま死んでもいいと思って坐っていましたからね。実際のところ、真剣勝負でないような瞑想なんて何の意味もないんですよ。心は落ち着くかもしれないけど、霊的な成長なんてできない。

一番肝心なことは、すべて神様にお任せをする。生きるとか死ぬとか考えないで、ただ一所懸命に坐って、ひとつのことになりきることです。
たとえば般若心経をあげると、その般若心経の声そのものになるわけです。自分があるということ、肉体があるということ、唱えている状況、そういうことをみんな忘れて、なりきってしまう。
渡部先生もどこかで書かれていたように思いますが、ひとつになりきらないと、いつまでたってもちっちゃな自分の枠から外には出られない。善人でも悪人でも駄目なんです。人間という枠を超えないと駄目。

それには人間であることを否定する必要があるんですね。徹底的に断食をするとか徹底的に坐るとかして、人間であることを否定する練習をする。そして最後に本当に意識もなくなったら、生きるも死ぬも自分のすべてを神様にお任せする。そのときにはじめて、“流入”、つまりドイツ語でいうアインフルースという現象が起きる。それについてはエックハルトも書いていますし、竜樹菩薩も書いています。』
(霊の研究人生の探究 本山 博/著 致知出版社P30-31から引用)※この本は渡部昇一との談話。

この流れ込むという表現は、出口王仁三郎の大神の内流という言葉に通ずる。本山博は、流入の実際のメカニズムについてあまり明かしてはいないが、出口王仁三郎は、内流における高級神霊の役割について明かしている部分がある。

本山博も出口王仁三郎もなり切らないと、変な霊に憑依されるということについては同じ意見である。

どのような冥想法でも一生懸命に真剣にやらないと、神様は来ない。この点は形だけ整って心が落ち着いたり癒されたりすればよいという、昨今支配的な考え方とは一線を画している。

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