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ウクライナから松尾芭蕉

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◎芭蕉のおかしみとさび

ウクライナの小学校の教科書で、外国文学として最初に登場するのは、ロシアでもなくドイツでもなく松尾芭蕉だそうで、これがウクライナに親日家が多いと言われる所以なのだろう。

ウクライナの最近の現地映像ではまだ雪があり、吹雪いているシーンもある。

松尾芭蕉には、おかしみの句、おかしみからさびに転ずる句、さびそのものの句と三種揃っている。

おかしみの句:
「いざさらば雪見にころぶ所まで」
(大意:さようなら、私は雪見に行きます、雪でころぶ所まで。)

おかしみからさびに転ずる句:
「おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな」
(大意:音に聞く鵜飼いは面白いものだったが、帰途の舟では胸かきむしられる思いが徐々に深まる)

さびそのものの句:
「古池や蛙飛びこむ水の音」
(大意:古池に蛙が飛びこむ水の音がする。)
クンダリーニ・ヨーガでは上昇し、只管打坐 では下降する。かわず(蛙)は、水面下に降下したのは、禅の悟りが下降であることを示しているのではないか。江戸時代、この句は大いに人口に膾炙したというが、そこをわかっている人間が故意に絶賛したのではないか。
松尾芭蕉には、これ以外にもさびの句は少なくないが、この一見何の変哲もない句を第一とするのは、神秘家が目印としてまず目立たないもの、ありきたりのものを置く作法を思い起こさせる。

只管打坐ではないが、カルロス・カスタネダは、ソーマ・ヨーガだが、崖から飛び込んで終わっている。

人生は、一旦はおかしみを極めないと真剣な求道に向かわないのではないか。その方向性の転換は、感情的に相当に割り切れないものではあるが、絶対的に必要なプロセスなのだろう。

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