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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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スマホを通さず見る、スマホを通さず聞く

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◎その出会いに直面する

ようやく本格的に桜が咲き始めた。ネットでは絢爛豪華な桜の写真があふれている。信じられないかもしれないが、27年前のカシオの50k写真がせいぜいのカメラの画像であっても、当時は驚異と歓迎の目で、桜は愛でられたものだ。

だが、それ以前であっても豪奢な満開の桜、惜しまれて散る吹雪の桜はあった。吉野山、桜好きだった西行の桜など。

最近はスマホのカメラの目でシーンを見る人や、スマホの録音機能の耳で音声を聞く人が増えた。

人と人との出会いは一回限り。その場面に居ることも一回限り。そこにスマホを持ちだせば、出会の感触は間接的なものとなり、その場面全体の印象もみずみずしさは薄らぐ。

ダンテス・ダイジの講話の録音というものもあるが、「録音していないで、聞きなさい。」とたしなめたシーンもある。

予言あるいは予兆を感じるとは、現在ある事象をきっかけに自分の深い潜在意識をのぞき込むということ。

年年歳歳同じ桜の花は咲くが、その桜花は今日ただいま一回きりであって、同じ花は二度とない。桜を揺らす風の音も鳥の声も同様に、今日ただいま一回きりであって、同じ音は二度とない。

そしてそれをきっかけにして起こる洞察も二度とない。
「さまざまの こと思ひ出す 桜かな」松尾芭蕉

スマホを通して見る、スマホを通して聞く(撮影、録音)というのは、最近ではごく当たり前の習俗だが、実は結構いろいろなものを取り逃がしている。

冥想を続けている人は、スマホで撮影することで何を取り逃がすかについては自ずとわかっているのではないか。
その出会いに直面していないということを。

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