◎ハルマゲドン
実質無神論者が大勢を占めるのではないかと思われる日本において、世界最終宗教戦争の構図と結末というのは、あまり関心を惹かないかもしれない。そうした日本では、至福千年に生き残る比率は諸外国より低いと見られている。
クンダリーニ・ヨーギ本山博が、東洋の宗教と西洋の宗教の対立による世界最終宗教戦争の構図について、「人間と宗教の研究/宗教心理出版」という本で概説している。
それは、おおまかに言うと、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教対ヒンズー教・仏教・道教・古神道の相違のことである。
曰く、
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は、砂漠の宗教にして他力宗教。
ヒンズー教・仏教・道教・古神道は、森林の宗教にして自力宗教。
彼の言う自力とは、おおまかには瞑想修行の有無を言っているのだが、砂漠の宗教側にも観想法やスーフィなど自力行があるのは彼も承知している。
双方の相違とは、次のような点である。
1.輪廻転生
沙漠の宗教では、輪廻転生がない。
森林の宗教では、輪廻転生がある。
2.終末観
沙漠の宗教では、世界には始めと終わりがある。
森林の宗教では、世界は、空として生成化々し始めも終わりもない。
3.物と心の関係
沙漠の宗教では、宇宙創造の始まりから神が創造された物と人間が別々に存在している。物と人間の心は対立して存在する。
森林の宗教では、神も宇宙も人間も自然も心も融和協調して存在している。
4.道徳、罪、罰、審判
沙漠の宗教では、人間は神の被造物であり、道徳とは神からの命令・戒律。そこから罪と罰、輪廻転生なしで最後の審判が出てくる。
森林の宗教では、人間は神と同等であり、創造者と被造物という峻別する視点は弱い。人は輪廻転生し、悟りたる神人合一のステージもある。
5.絶対者、神の概念と人間
沙漠の宗教では、人間を苛酷な生存環境に置き、神は全知全能の創造神にして、愛と恩寵と罰を与えるもの。
森林の宗教では、人間をやや楽な生存環境に置き、神の顕れとしての大自然に生活しながら神と共存して生き、その延長線上に空があり、アートマンなる世界全体が見えている。
以上の説は大雑把ではあり、俗人から見た宗教観みたいなところがあるが、このような視点は、最終宗教戦争が起こる原因として、世界が考えさせられるところになるのだろう。
森林の宗教は七つの身体論だが、砂漠の宗教は太母なき宗教であり、砂漠の宗教が太母を取り込んでいく過程で起こるのが、世界最終宗教戦争ということなのではないか。
ハルマゲドン、ファティマ第三の予言などキリスト者にとっての悲惨な未来ということも言われる。それについては、来るべき至福千年、みろくの世には宗教がない時代だと言われるが、無神論社会になるということでなく、万人が神知る時代のことであって、そのプロセス中の一エピソードなのだろう。
実質無神論者が大勢を占めるのではないかと思われる日本において、世界最終宗教戦争の構図と結末というのは、あまり関心を惹かないかもしれない。そうした日本では、至福千年に生き残る比率は諸外国より低いと見られている。
クンダリーニ・ヨーギ本山博が、東洋の宗教と西洋の宗教の対立による世界最終宗教戦争の構図について、「人間と宗教の研究/宗教心理出版」という本で概説している。
それは、おおまかに言うと、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教対ヒンズー教・仏教・道教・古神道の相違のことである。
曰く、
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は、砂漠の宗教にして他力宗教。
ヒンズー教・仏教・道教・古神道は、森林の宗教にして自力宗教。
彼の言う自力とは、おおまかには瞑想修行の有無を言っているのだが、砂漠の宗教側にも観想法やスーフィなど自力行があるのは彼も承知している。
双方の相違とは、次のような点である。
1.輪廻転生
沙漠の宗教では、輪廻転生がない。
森林の宗教では、輪廻転生がある。
2.終末観
沙漠の宗教では、世界には始めと終わりがある。
森林の宗教では、世界は、空として生成化々し始めも終わりもない。
3.物と心の関係
沙漠の宗教では、宇宙創造の始まりから神が創造された物と人間が別々に存在している。物と人間の心は対立して存在する。
森林の宗教では、神も宇宙も人間も自然も心も融和協調して存在している。
4.道徳、罪、罰、審判
沙漠の宗教では、人間は神の被造物であり、道徳とは神からの命令・戒律。そこから罪と罰、輪廻転生なしで最後の審判が出てくる。
森林の宗教では、人間は神と同等であり、創造者と被造物という峻別する視点は弱い。人は輪廻転生し、悟りたる神人合一のステージもある。
5.絶対者、神の概念と人間
沙漠の宗教では、人間を苛酷な生存環境に置き、神は全知全能の創造神にして、愛と恩寵と罰を与えるもの。
森林の宗教では、人間をやや楽な生存環境に置き、神の顕れとしての大自然に生活しながら神と共存して生き、その延長線上に空があり、アートマンなる世界全体が見えている。
以上の説は大雑把ではあり、俗人から見た宗教観みたいなところがあるが、このような視点は、最終宗教戦争が起こる原因として、世界が考えさせられるところになるのだろう。
森林の宗教は七つの身体論だが、砂漠の宗教は太母なき宗教であり、砂漠の宗教が太母を取り込んでいく過程で起こるのが、世界最終宗教戦争ということなのではないか。
ハルマゲドン、ファティマ第三の予言などキリスト者にとっての悲惨な未来ということも言われる。それについては、来るべき至福千年、みろくの世には宗教がない時代だと言われるが、無神論社会になるということでなく、万人が神知る時代のことであって、そのプロセス中の一エピソードなのだろう。