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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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筒男メモ-2

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◎筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原の水底

イザナギ神が冥界から帰還して、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原の水底において穢れを身禊する段の古事記原文。
『第三〇章 言霊解四

次に水底に滌(そそ)ぎ玉ふ時に成りませる神の御名は、底津綿津見神《そこつわたつみのかみ》、次に底筒之男命《そこづつのをのみこと》、中に滌ぎたまふ時に成りませる神の御名は、中津綿津見神、次に中筒之男命《なかづつのをのみこと》、水の上に滌ぎたまふ時に成りませる神の御名は、上津綿津見神、次に上筒之男命《うはづつのをのみこと》、此三柱の綿津見神は阿曇《あづみ》の連等が祖神ともち斎く神なり、故(かれ)阿曇の連等は、其の綿津見神の子、宇都志日金柝命《うつしひかなさくのみこと》の子孫なり。其底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命、三柱の神は墨江《すみのえ》の三前《みまへ》の大神なり』
(霊界物語第10巻第三十章言霊解四から引用)

古事記では、禊において10柱の神が発生したとあり、綿津見神と筒之男命は、その最後の方の神。
出口王仁三郎の説明では、
綿津見が神で、筒之男が神でなく命になっているのは、綿津見は神界の浄化を司るからであって、筒之男は現界の浄化を司るため。
そして、そもそも神と命の違いは。古典では霊を称して神と呼び、体を称して命と呼んだ。神とは幽体、隠身《かくれみ》、即ち『カミ』であつて、命(みこと)とは体異(みこと)、体別(みこと)、即ち身殊(みこと)の意味である。

この説明がないと通り一辺に読んでしまいがち。

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