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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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フリーメーソンで人間が神に成る

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◎男と女は神にまでいたる

『フリーメーソン 西欧神秘主義の変容/吉村正和/講談社現代新書』には、繰り返しフリーメーソンの最終的に目指すところがはっきりしないことが述べられている。

モーツァルトの魔笛は、フリーメーソンの狙いが描かれているものとして有名だが、人間が神になるというくだりは、次のようにあっさりしたものだ。
『愛の目的があきらかにしているのは
女と男よりも高貴なものはないということ、
男と女、女と男は、
神にまでいたる。(第一幕十四場)

徳性と正義が
大道を名誉もて覆うとき、
その時、この世は天国となり、
死すべき人も神々に等しいものとなる。(第一幕十四場)』
(上掲書P93-94から引用)

魔笛においては、遍歴、旅という言葉が冥想修行を意味する。フリーメーソンには、徒弟、職人、親方の三位階あり、また三十三位階というのもあって、日本では、誰がトップ位階なのか、マッカーサーは何番目だったのかというようなところばかり注目される。だが、本来それは、冥想修行のステップを指すものであったはずだと思う。

魔笛における旅や遍歴という言葉は冥想修行を指す。チベット密教でも初手の生起次第は明かされているが、奥義にあたる究竟次第は明かされない。

OSHOバグワンのいうようにその道のテクストには、故意に間違いを書いていたり、口伝にしておいている部分があるのだろう。それは、世界的に密教系では共通に見られる作法であって、キリスト教からの迫害が厳しいからという理由だけでそうしているわけではあるまいと思う。

そうした文献の誤りを正すのは、他の文献の記載との比較検討ではなく、同様の体験の追体験しかない。つまり自分が神に成るという体験とは言えない体験をすること以外にはあるまい。

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