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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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孤独でも人生を楽しめる人

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◎寒山詩

寒山は、天台山の山奥の洞窟に棲み、寺の食事係だった拾得から残飯をもらって日々を楽しんだという。

人間には一人で生きていける人と一人では生きていけない人がいる。だが冥想修行の途中では、最後の方は、絶対的な孤独に追い込まれていくものだ。人は理不尽、不条理な目に遭い続けて行けばいくほど、孤立感を深める。

最後は人間には何一つ救済などないところまで見切って、それまでの水平飛行から垂直ジャンプに転じる道もある。

寒山詩。
『(大意)

智者よ、君は我を見捨てる
愚者よ、私は君を見捨てる
私は、愚者でもなく智者でもない
だから交際をやめてしまおう
夜になったら名月に歌い
早朝を侵して白雲に舞う
口も動かさず手も止めたままで
端座冥想を続けるだけで、鬢髪が白髪になるのを待てようか。

(書き下し)
智者、君は我を抛(なげう)ち
愚者、我は君を抛つ
愚にあらず、また智にあらず
これより相い聞くことを断つ

夜に入りては明月に歌い
晨を侵しては白雲に舞う
いずくんぞよく口と手を住(とど)め
端坐して鬢の紛々たらんや』

山に棲めば、山の音を聞く。その中でずっと一人ではやっていけないので、どこかで必ず他人との接点を持たざるを得ない。山中に蟄居していても、食事を作ったり、服や靴や鍋や椀を手に入れたりということは必要になるものだ。
それは500歳の仙人であっても肉体を持つ以上は変わらない。

生涯未婚者も含め、世に孤老も弧若も多い。昔はそんな人でも「ただ生きてただ死んでいく人生」として高く評価されていたものだ。だが知性が発達して、日々刻々自分が何のために生きているかを問われ続ける時代になってしまった。そうなったからには、日々時間のない中でも冥想を続け、悟りに向かって努力せざるを得ないと思う。

この寒山詩は、唐代だが、精神的に行き詰らず一人暮らしができる人はよい。現代のこの個人と個人が分断されたライフスタイルは、ますます人を孤独と不安に追い込みがちである。電車の中で全員イアホンで別々の曲を聴いているという孤絶は、古代人が見たら異様に思うだろう。それほどイカレタ時代に我々は生きているのだ。

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