Quantcast
Channel: アヴァンギャルド精神世界
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3535

幽霊見えます、エーテル体の凝縮

$
0
0
◎端倪すべからざる霊的感覚

親族の死などでは、その幽霊を見た話題が出ることがある。経験的に幽霊を見れる人は10人に一人程度と思う。また人間の霊への感覚という点では、霊を見れるタイプの人と霊を感じるタイプの人がいる。

なぜ人は幽霊が見えるのかということについては、以下の引用文で、エーテル体を見るケースとアストラル体を見るケースがあることが示されている。エーテル体は写真に写るが、アストラル体は写らないというところか。
『物質の原子をもっとも細かい粒子に分解したものがエーテルだ。同様に、エーテルの原子をもっとも細かい粒子に分解すると、アストラル体となる。そのうちそれらの関連は見出されるだろう。この三つの身体は、 明らかに互いにつながっている。幽霊が写真に写るのはこのためだ。

幽霊には肉体がない。その半透明の姿はエーテル体から発する。幽霊の撮影が可能なのは、エーテル体が凝縮されると、高感度カメラがその姿を捉えるためだ。

エーテルについてはもうひとつある。エーテルは非常に微妙なので、超常的なものの影響を受けやすいということだ。死んだ人間の魂が姿を現したいと望めば、分散した原子を集めて凝縮させ姿を形づけられる。 この姿はカメラで撮影可能だ。

第二身体、エーテル体は肉体よりもマインドの影響を受けやすい。肉体もマインドの影響を受けるが、エーテル体ほどではない。
身体が微細になればなるほど、マインドに影響されやすくなり、マインドに近くなる。アストラル体は、さらにマインドの影響を強く受ける。

このため幽体離脱が可能となる。部屋で眠っていても、アストラル体によって世界のどこにでも行ける。同じ人物が、複数の場所で同時に目撃された話を聞いたことがあるだろう。これは起こり得る。肉体はある場所に居ながらも、アストラル体は別の場所に居る。ちょっと練習すればできることだ。』
(奇跡の探求2-七身体の神秘/和尚/市民出版社P238から引用)
※原子:この原子は、物質レベルの原子でなく、エーテル体レベルでのそれ。出口王仁三郎のいうところの神霊原子

真面目な求道者諸氏は、いまさら幽霊譚かと思うかも知れない。私も若い頃は、霊が見える、感じられるなどということはどうでもよいことだと思っていた。

だが、次の至福千年・みろくの世では、万人が神仏を知っていると同時に霊能力が普通にあると来れば話は違ってくる。

例えば幽霊が実在する、UFOが実在するというのは、肉体レベル・物質レベルの話ではないが、万人が普通に霊的感覚を有していれば、幽霊もUFOも実在することに誰も疑義ははさまないだろう。

さらにそういう人間はあたりまえに、「人間には肉体の他に、エーテル体、アストラル体などの微細身」があることを知っている。

今の時代は幽霊や微細身を語ることはタブーだが、次の時代は、それが常識となる。そうなって七つの身体論を基礎に据えた学校での冥想教育が行われ、少年少女は、思春期頃に神を知り、その結果大人全員が神を知っている社会となる。

そうならないと、「もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない」時代(聖書ヨハネの黙示録21章)にならない。

とかく幽霊が見える見えないは際物ネタにされがちだが、七つの身体で言えば下方三身体があることが当たり前に認識されているということは、七つの身体全体の理解の基礎となっているということ。

つまり幽霊話の理論的説明も神仏を知る手がかりの一つとして、見過ごすわけにはいかないのだ。

ダンテス・ダイジが何某に、あらゆるオカルト現象を説明してやろうと言ったのもそれと軌を一にすると思う。

なお、だからといって、霊能力志向、超能力志向から入るのは地獄への道ではある。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 3535

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>