◎すさまじい光を浴びる
モンローは、放出口の出口の孔ですさまじい光を浴びた。ということは,チベット密教流の言い方をすれば、無上の垂直道の最後の付近までいって創造主の光を浴びるところまで行ったかにも見えるが、単にアストラル宇宙の境界に至ったに過ぎないかも知れない。クンダリーニというエネルギーコードに乗って、中心太陽(創造主)がもう少しで見えるというところまで行くには、メンタル宇宙や、コーザル宇宙を突破しないといけないだろう。
モンローのトリップは、宇宙人に出会い、死んでいる人に出会い、生きている人に出会いというエピソードが中心で、ほとんどが霊界の中での出来事のように見える。この自称創造主への旅で特筆すべきなのは、旅の始まりから終りまでしばしばツアーガイドが付いていて、旅の仕方について何くれとなくアドバイスを提供し続けていたことである。
そのアドバイスの受け取り方は、最終ツアーにおいては、大いなる者から”小さい者”であるモンローが受け取るという方法であり、大いなる者はモンロー以外の人格として存在する。要するにモンローは、自分と他人は違うという個別性の枠を抜けることはなく、個別性を保持したままで、中心太陽(創造主)の近縁まで迫ったということになる。(2006年当時とは、この体験の評価を変えています。)
密教系の行者の体験では、大体一人で個別性を抜けるか、中心太陽に迫る話が多いものだが、モンローには、しばしばツアーガイドが付いていて孤独ではない。大いなる者とは高級神霊のことだと思うが、このことにモンロー自身の霊媒的体質を感じる。
ただし放出口に迫ったときだけは一人になり、大いなる者と連絡がつかなくなって、肉体は仮死状態になっていたようなことが書いてある。これらのことから、この体験は正統的な無上の垂直道を昇る体験に迫っていたかもしれない。
モンローの話は、大抵はアストラル・トリップであるが、メンタル体でないとできないところに行くテクニックもなぜか持っていたということになる。もっともまだ「有」の世界の側に居る。
『・・・ぐんぐん内側に向かっている
・・・・IT集合体の流れを通りすぎる
・・・・もう見えない
・・・・信念体系領域も過ぎる
・・・・瞬いて消えて行く
・・・・青い惑星も通り過ぎて
・・・・塵の輪に還って行く
・・・・すべてが動いて、動いている
・・・・今度もまた流れに逆らい、物事の始まりまで遡るのだ
・・・・分子と光の巨大な花がつぼみに還える
・・・・一筋の光線に
・・・・光線に
・・・・あの中に入るのだ、あそこに
・・・・耐えられるだろうか、余りに強烈だ
・・・・ほら、あった
・・・・「放出口」だ!そうビッグバンなどなかったのだ
・・・・始まりは「放出口」だったのだ。
・・・・ホログラムが創造され、
・・・・ほら一方向に流れ出て行く
・・・・サイクル
・・・・閉じた輪
・・・・円環だ!今こそわかった
・・・・「知る」ことができた。』
(窮極の旅/ロバートA.モンロー/日本教文社から引用)
モンローは、この体験をした後、肉体機能が元に戻るまで何日もかかったそうなので、いわゆる社会人としての日常生活を送りながらでは、こんな体験はできないことを承知しておきたい。
【チャクラと七つの身体−172】
◎アストラル体−41
2.アストラル体の性質−22 肉体からの脱却-4モンローの幽体離脱テクニック−2
【ザ・ジャンプ・アウト226】
人気ブログランキングへ
にほんブログ村
モンローは、放出口の出口の孔ですさまじい光を浴びた。ということは,チベット密教流の言い方をすれば、無上の垂直道の最後の付近までいって創造主の光を浴びるところまで行ったかにも見えるが、単にアストラル宇宙の境界に至ったに過ぎないかも知れない。クンダリーニというエネルギーコードに乗って、中心太陽(創造主)がもう少しで見えるというところまで行くには、メンタル宇宙や、コーザル宇宙を突破しないといけないだろう。
モンローのトリップは、宇宙人に出会い、死んでいる人に出会い、生きている人に出会いというエピソードが中心で、ほとんどが霊界の中での出来事のように見える。この自称創造主への旅で特筆すべきなのは、旅の始まりから終りまでしばしばツアーガイドが付いていて、旅の仕方について何くれとなくアドバイスを提供し続けていたことである。
そのアドバイスの受け取り方は、最終ツアーにおいては、大いなる者から”小さい者”であるモンローが受け取るという方法であり、大いなる者はモンロー以外の人格として存在する。要するにモンローは、自分と他人は違うという個別性の枠を抜けることはなく、個別性を保持したままで、中心太陽(創造主)の近縁まで迫ったということになる。(2006年当時とは、この体験の評価を変えています。)
密教系の行者の体験では、大体一人で個別性を抜けるか、中心太陽に迫る話が多いものだが、モンローには、しばしばツアーガイドが付いていて孤独ではない。大いなる者とは高級神霊のことだと思うが、このことにモンロー自身の霊媒的体質を感じる。
ただし放出口に迫ったときだけは一人になり、大いなる者と連絡がつかなくなって、肉体は仮死状態になっていたようなことが書いてある。これらのことから、この体験は正統的な無上の垂直道を昇る体験に迫っていたかもしれない。
モンローの話は、大抵はアストラル・トリップであるが、メンタル体でないとできないところに行くテクニックもなぜか持っていたということになる。もっともまだ「有」の世界の側に居る。
『・・・ぐんぐん内側に向かっている
・・・・IT集合体の流れを通りすぎる
・・・・もう見えない
・・・・信念体系領域も過ぎる
・・・・瞬いて消えて行く
・・・・青い惑星も通り過ぎて
・・・・塵の輪に還って行く
・・・・すべてが動いて、動いている
・・・・今度もまた流れに逆らい、物事の始まりまで遡るのだ
・・・・分子と光の巨大な花がつぼみに還える
・・・・一筋の光線に
・・・・光線に
・・・・あの中に入るのだ、あそこに
・・・・耐えられるだろうか、余りに強烈だ
・・・・ほら、あった
・・・・「放出口」だ!そうビッグバンなどなかったのだ
・・・・始まりは「放出口」だったのだ。
・・・・ホログラムが創造され、
・・・・ほら一方向に流れ出て行く
・・・・サイクル
・・・・閉じた輪
・・・・円環だ!今こそわかった
・・・・「知る」ことができた。』
(窮極の旅/ロバートA.モンロー/日本教文社から引用)
モンローは、この体験をした後、肉体機能が元に戻るまで何日もかかったそうなので、いわゆる社会人としての日常生活を送りながらでは、こんな体験はできないことを承知しておきたい。
【チャクラと七つの身体−172】
◎アストラル体−41
2.アストラル体の性質−22 肉体からの脱却-4モンローの幽体離脱テクニック−2
【ザ・ジャンプ・アウト226】

