◎アストラルでの交流・修行
◎微細身だが、悟りをテーマにはしていない
中国の古典、真誥では、修行者が尸解仙と交流のあることが記されている。尸解仙は仙人の中でも下位の者とされているが、四平山の洞窟に集まる五人の得道者中四人が尸解仙である。
つまり尸解仙とは亡くなって肉体を持たない者であるが、そういう人と憑依の形ではなく、平気で交流しているわけである。つまり、アストラル体オンリーの存在と平然と交流して修行の助けを受けているのである。
この雰囲気は、カルロス・カスタネダ風でもある。
ここでいう尸解仙とは、完全に虚空中に雲散霧消しているのではなく、化して剣となる者、化して杖となる者、火災によって焼死した者、水によって溺死した者などがあり、また人が死んで生きている人みたいな者は皆尸解であるとする。
つまりある程度クンダリーニ・ヨーガ技で微細身のコントロールを得た人が、死してその技術を死体の処理に際して露顕させたのが屍解ということになろうか。
屍解が最終目標ではないが、古人がこれにこだわったロジカルな理由は、必ずあるものだと思う。
【チャクラと七つの身体−220】
◎アストラル体−89
2.アストラル体の性質−70
5. 死の世界だが、悟りではないということ-9尸解仙
(ザ・ジャンプ・アウト274)
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◎微細身だが、悟りをテーマにはしていない
中国の古典、真誥では、修行者が尸解仙と交流のあることが記されている。尸解仙は仙人の中でも下位の者とされているが、四平山の洞窟に集まる五人の得道者中四人が尸解仙である。
つまり尸解仙とは亡くなって肉体を持たない者であるが、そういう人と憑依の形ではなく、平気で交流しているわけである。つまり、アストラル体オンリーの存在と平然と交流して修行の助けを受けているのである。
この雰囲気は、カルロス・カスタネダ風でもある。
ここでいう尸解仙とは、完全に虚空中に雲散霧消しているのではなく、化して剣となる者、化して杖となる者、火災によって焼死した者、水によって溺死した者などがあり、また人が死んで生きている人みたいな者は皆尸解であるとする。
つまりある程度クンダリーニ・ヨーガ技で微細身のコントロールを得た人が、死してその技術を死体の処理に際して露顕させたのが屍解ということになろうか。
屍解が最終目標ではないが、古人がこれにこだわったロジカルな理由は、必ずあるものだと思う。
【チャクラと七つの身体−220】
◎アストラル体−89
2.アストラル体の性質−70
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