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アートマンとブラフマン-1

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◎梵我一如か?

よくウパニシャッドでは、梵我一如と呼ばれ、アートマンとブラフマンは同じであるといわれ、実際にウパニシャッドの中でも、アートマンとはブラフマンのことであると書いているものがある。

しかしそうではないと読めるものもある。アートマンとは、不死のことであるが、次のヴェーダの「1.」では、死もなく不死もない世界のことを語り「一なるもの」も未出現なので、ここはブラフマンのことを謂うのだろうと思う。またブラフマンが言葉では説明できないものであるということは、ウパニシャッドの随所に出てくることも考慮されるべきだと思う。

また太陽などの天体や地水火風などの元素や、人間という現象のことをブラフマンと呼ぶ場合がある。これは、「有」の世界のことをブラフマンと読んでいるもので、このブログでは、ブラフマンは無の方だと考えているので、この表現は、わかっている人が見れば、間違いではなかろうが、誤解を招きやすい表現ではある。
さて以下の文の「2.」以下は、「一なるもの」の説明なのでアートマンである。

只管打坐で、いきなり身心脱落してブラフマンに到るメソッドでは、中間段階としてのアートマンなどというものは、おそらく登場してこないだろうから、密教=クンダリーニ・ヨーガ的な体系の宗教で特有の説明の仕方であると考えるべきかもしれない。

リグ・ヴェーダ第10巻第129讃歌
『1.そのとき、非有もなかった。有もなかった、空間の領域もなかった。その上の最高の(領域)もなかった。いかなるものが按撫したのか、いかなるところで、いかなるものの保護において、底知れない深い水は在ったであろうか。

2.そのとき、死もなかった。不死もなかった。夜と昼のしるしもなかった。そのただ一つなるものは、風をたてることなく、みずからの力(独立の力)で息づいていた。そのもの以外のほかのものは何ひとつ存在しなかった。

3.太初には暗黒が暗黒によっておおわれていた。この(世の)すべてのものは、しるしを持たぬ水であった。空虚によっておおわれて発達しているものである。あのただひとつなるものは,熱力の力によって生れた。

4.太初に欲求がそのものに発生した。そしてそれは、思考作用の第一番目の種子であった。(天賦の詩的霊感をそなえた)詩聖たちは、熟慮によって、(霊感の坐である)心において追求し、非有において有の関連をみいだした。

5.これらの(詩聖たちの測量のための)縄は横に張られた。下には在ったであろうか。上にはあったであろうか。射精者はあった。増大する力はあった。独立の力(女性的力?)は下に、収める力(男性的力?)は上に(在った)。

6.だれがほんとうに知っているだろうか。ここにおいてだれが告げられようか。この(二次的な)創造は、いかなるものより生じ、何物から(出現したのか)。神々はこのものの創造ののち(に誕生したの)であった。このとき(創造が)なにものより起こったかをいったいだれが知っていよう。

7.この創造がなにものより起こったかを、あるいは(それが何人によって)実行されたかを、あるいは(実行され)なかったかを、最高の領域において、これを監督するところの者だけが、(そのことを)知っている。あるいはまた、(だれも)知っていない。
』(人類の知的遺産2 ウハニシャッドの哲人/講談社p124-125から引用)

【チャクラと七つの身体-312】
◎アートマン-16
2.ウパニシャッド ◎ アートマンとブラフマン-1
(ザ・ジャンプ・アウト366)

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