冥想の深浅高低-2
◎ヨーガ・スートラに見る定と三昧-2 ヨーガ・スートラは、バラバラに章立てがされているところがあり、多分グルの口伝があったのだと思うが、説明が不足しており、そのままで読んでも、さっぱりわからず、とりつくしまがない。 その体験をしさえすれば、こんなものを読む必要はなく、その体験をしていないならば、こんなものを読んでも役に立たないということはあるんだとは思う。...
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◎ヨーガ・スートラに見る定と三昧-3 ○三昧の分類 三昧には、有想三昧と無想三昧がある。三昧とは、心をなくして、対象のみとなった状態である。 有想三昧と無想三昧に、もはや人間個人というものはなく、神の側、絶対者の側の体験のことであり、もはや体験とは呼べない体験のことである。...
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◎原始仏教の分類1 釈迦は、王子や家族という社会的なすべてを棄てて、出家して二人の仙人に教えを受けた。 まずアーラーラ・カーラーマ仙人は、無所有処を説いた。無所有処は、禅定の9段階の7番目であり、世間から見たらかなりすごい。 そしてウッダカ・ラーマプッタ仙人は、非想非非想処を説いた。非想非非想処は、禅定の9段階の8番目であり、冥想ティーチャーの実力としては相当なものがあると言える。...
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◎原始仏教の分類-2 原始仏教の遊行経において、釈迦の前生の一つ、大善見王の物語の中に四禅の解説がある。 大善見王が人間としての幸福を得たので、次に天としての幸福を得る実践をしようとして冥想すると、...
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◎原始仏教の分類3 色界の禅定4レベルの説明が終わったので、無色界の禅定です。 9レベルのうち上位の4レベルを説明するが、無色界は、物質を離れた世界であるとは言っても、あくまで人間という個人が体験する個人性を残した定のレベルであることに変わりはない。人間の体験なので、それがどんなに素晴らしい体験であったとしても、いつかは変わり、消えてゆく体験なのだと思う。 (3)無色界...
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◎原始仏教の分類4 原始仏教の遊行経において、釈迦は今まさに入滅しようとします。 『ここで、世尊は直ちに、 まず初禅(第一禅)に入り、 その初禅から出て第二禅に入り、 その第二禅から出て第三禅に入り、 その第三禅から出て第四禅に入り、 その第四禅から出て(以上で色界の禅定を終え)、 空処定(虚空が無限であるという禅定の境地)に入り、...
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◎原始仏教の分類5 原始仏教の遊行経の、釈迦の入滅シーンの続きです。 『(これまでただ釈尊の説法を数多く聴聞して、それを記憶することには特に傑出していたものの、その説法には説かれなかったこのような場面に遭遇して、すっかり窮地に陥った)アーナンダ(仏弟子)は、(天眼をもってこの情況を見通しにわかに出現した)アヌルッダ(阿那律=仏弟子)に質問します。...
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◎原始仏教の分類6 ◎釈迦成道 釈迦が、非想非非想処定を教えてくれるウッダカ・ラーマプッタ仙人のところを去ったのは良いとして、いくらでも天国気分を味わえる非想非非想処定を捨てて、わざわざ釈迦が苦行を選んだのはとても不思議なことである。人生を苦の連続と見る超ペシミスティック(厭世的)人生観の宗教を作り出した人だから、そのような苦行モードに入ってしまったためなのか・・・・・? 閑話休題...
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◎冥想十字マップ-1 ダンテス・ダイジの冥想の横軸は、以下の4段階であるが、無想定と有相三昧の間に「愛」が挟み込んであるところが特徴。しかし、ダンテス・ダイジは「愛」を一つの段階と定義してはいない。冥想の横軸が冥想の縦軸と交わる交点として、愛を位置づけているところが特徴である。神(仏)と個人の結節点(結び)として愛を見ているのである。合気道家植芝盛平のいうところの天の浮橋の位置である。 1.有想定...
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◎冥想十字マップ-2 ダンテス・ダイジの冥想の縦軸は、以下の7段階である。ダンテス・ダイジは、この冥想十字マップにおいて、直接に、各段階がチャクラと七つの身体に対応しているなどとは語っていないが、総合的にはそのように考えざるを得ないのである。...
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◎ステップの多いクンダリーニ・ヨーガ 只管打坐系冥想にはステップはない。これに対してクンダリーニ・ヨーガ系冥想はステップそのものである。 クンダリーニ・ヨーガは、死の世界を扱う技術であるから。まず死の世界に入る。それからステップが並ぶということになる。 ステップは、只管打坐系のように意識の深化で見ることもできるが、七つの身体、七つのチャクラで見るのが正統的なのだろうと思う。...
View Articleアートマンとブラフマン-1
◎梵我一如か? よくウパニシャッドでは、梵我一如と呼ばれ、アートマンとブラフマンは同じであるといわれ、実際にウパニシャッドの中でも、アートマンとはブラフマンのことであると書いているものがある。...
View Articleアートマンとブラフマン-2
◎梵我一如に非ず ウパニシャッドの現代語訳の著作がある湯田豊も梵我一如ではないと述べている。 『アートマンとブラフマンが本質において一つであるという学説は少なくとも初期ウパニシャッドには存在しない。したがってアートマン=ブラフマン説がウパニシャッド全体を代表する思想であるはずはない。...
View Articleアートマンとブラフマン-3
◎神と悪魔の悟境の差 創造主プラジャー・パティが「アートマンを見出して認識する者は一切の世界を得て、すべての欲望を満足させる」と唱えたのを聞いて、神々代表としてインドラが、悪魔代表としてヴィローチャナが、アートマンを認識するべく、創造主プラジャー・パティの下で32年間修行した。...
View Articleアートマンとブラフマン-4
◎最高の光明 インドラの師匠プラジャー・パティは次のように語る。 『この肉身は死すべきものであり、死に捉えられている。しかし、それはこの不死で肉身のないアートマンの住処である。肉身を具えた者は実に好悪の二者によって捉えられている。肉身を具えている以上、好悪の二者を絶滅することは不可能である。しかし肉身のない者には、好悪の二者も触れることはない。...
View Articleハートのアートマン
◎ウパニシャッドの不死の道 ウパニシャッドの中にも、心臓にアートマンが所在することを指摘している。(肉体相似の形象をとるボディは、肉体とアストラル体だけなので、「心臓にアートマンが所在する」という表現はそれ自体ひっかけ表現である)ぼんやりとした表現ではあるが、明らかに心臓から頭頂を経由して通るエネルギー・コードが知られていて、そのルートの先に不死・ブラフマンがあることを言っている。...
View Articleクンダリーニ・ヨーガの源流-1
◎ウパニシャッド「死神の秘教」 カタ・ウパニシャッドの死神の秘教は、賢者ナチケータスが死神に死の秘密を明かしてもらうストーリー。ここでは、アートマンがあって、ブラフマンがあってというのが前提となっているので、これはクンダリーニ・ヨーガ的世界観、修行体系の中の話となる。...
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