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サナート・クマラの上昇から不死へ

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◎クンダリーニ・ヨーガ系冥想の悟り

自分でない他人として、天津神、国津神、八百万の神または、諸神霊、諸尊格、諸天使などがあって、その中心に主神(大神、ニルヴァーナ)が位置しているのだが、諸神霊と主神は同一平面上にあるのではなく次元を異にするものであり、全く別のものであり、主神・中心太陽との合一では、すべてが自分であったというような言い方に必ずなっているものだ。逆にそれ以前には、6つの身体が、「すべてが自分であった」という自覚をすることはないというニュアンスのことをOSHOバグワンもダンテス・ダイジも言っている。

これがクンダリーニ・ヨーガ系冥想の悟りというべきものである。この舞台は超常現象渦巻く別の次元、死の世界であり、多数のあの世のクリーチャーに出会うものと聞く。その多次元宇宙の終着点に行き着いた者の中で、この世に帰還できた者だけがそのことを語る。

1.サナート・クマラ
中心太陽との合体こそは古今不朽の冥想修行者のテーマであるから、古代インドのウパニシャッドには、バンバンそうした話が出ているだろうと予想したものの、見事に期待は裏切られて、見つけたのはサナート・クマラの話だけだった。

『あたかも二つの村の間に連なる長い大道が、この村とあの村とに通ずるように、まさしく太陽の光線はこの世界とあの世界の両界に達する。これらの脈管に滑り込んでいる光線はあの太陽から拡がったのであり、ある太陽に滑り込んだ光線は、これらの脈管から拡がったのである。

人が眠り込んで完全に心の平静を得て、夢を見ない場合、その時彼は脈管の中に滑り込んでいるのである。如何なる邪悪も彼に触れることなく、彼は実に熱と合一している。

人が無力の状態に引き込まれると、周囲にいる人々は「わたしが判るか」「わたしが判るか」と言う。彼がこの肉身から出て行かないかぎり、彼にはかれらが判るのである。

しかし、彼がこの肉身から出ていく場合、彼はこれらの光線とともに上昇する。彼は『オーム』と言う、あるいは〔一言も発しないまま〕上に連れ去られる。意が消滅する間に、彼は太陽に達する。それは、実に〔ブラフマンの〕世界の門であり、知者たちの入口であると同時に、無知なる人々の入るのを拒む門扉である。

このことについて詩頌がある。

心臓には百と一の脈管があり、
それらの一つは頭から出ている。
それを通って上昇し、不死に赴く。
他の脈管はあらゆる方向に出口がある。
』(世界古典文学全集/ヴェーダ・アヴェスター/チャンドーグヤ・ウパニシャッドP226から引用)

また『この肉身から外に出て、最高の光明に合一した後、自己の姿で出現する、かの完全な心の平静、それがアートマンである』ともある。アートマンは七つの身体論では、第六身体のこと。

このように肉体から外に出て、死の世界に入り、中心太陽とつながるクンダリーニという光線に乗って、最高の光明(中心太陽)と合一した後、肉体に帰還する。

この光線に乗った上昇の仕方がアセンションで、『連れ去られる』という表現をとっている。そしてその時間は『意が消滅する』ほどの瞬く間に、中心太陽に到達するのだろう。

従って『人が眠り込んで完全に心の平静を得て』とは、睡眠のことではなく、深い冥想状態の表現だろう。そして「わたしが判るか」という呼びかけの情景は、チベット密教の死に行く者への呼びかけを思い起こさせる。

インドやチベットから聖者、覚者の触れ込みで来日する人たちの中でも、神に出会った人は多くても、中心太陽に見事突入できた人は、まずいないと見ていいのではないだろうか。これは、それほど希有なこと。

【チャクラと七つの身体-317】
◎アートマン-21
2.ウパニシャッド ◎ サナート・クマラの上昇から不死へ
(ザ・ジャンプ・アウト371)

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