◎ブラックマジックも効かないライン
ウパニシャッドには、サナート・クマラという達人がいた。
サナート・クマラは、邪悪なるものも及ばない一線があることを説明している。冥想修行の深まりとともに、自我というものは、自我の殻をだんだん緩め、さまざまな精妙なるものにオープンになっていく。どんどんオープンになっていくということは、神に対してオープンになっていくのと同時に、悪魔に対してもオープンになるということである。そこでは、神にも、悪魔にも同じチャンスがあるのである。
そこで、サナート・クマラは、一切の邪悪が引き返す絶対的なラインがあり、それが第六身体であるアートマンであると説明する。この神の側のチャンスも50%悪魔の側のチャンスも50%である危険なレベルを超えてアートマンに至るのは大変困難であり、クンダリーニ・ヨーガでそこを通過した人を「英雄」と呼ぶのは、それを通過した人がすこぶる少ないためである。
『さて、アートマンは、これらの諸世界が混じり合わないように防ぐ隔壁であり、境界線である。この隔壁を昼も夜も超えることはない。老も、死も、憂苦も、善い行為のみならず、悪い行為も、それを超えることはない。
一切の邪悪はそこから引き返す。何故ならば、かのブラフマンの世界はあらゆる悪を絶滅しているからである。従ってこの隔壁を超えるとき、盲目の者は盲目でなくなり、負傷した者は傷が癒え、病人は病人でなくなる。
従って、また、この隔壁をこえる時、夜は昼と成る。かのブラフマンの世界は一瞬にして明るくなるからである。
このブラフマンの世界を梵行によって見出す人々にのみ、このブラフマンの世界があり、これらの人々は、一切の世界において行動の自由を得る。』
(世界古典文学全集/ヴェーダ・アヴェスター/チャンドーグヤ・ウパニシャッドP225から引用)
※梵行(修行のこと)
【チャクラと七つの身体-316】
◎アートマン-20
2.ウパニシャッド ◎ サナート・クマラのアートマン
(ザ・ジャンプ・アウト370)
人気ブログランキングへ
にほんブログ村
ウパニシャッドには、サナート・クマラという達人がいた。
サナート・クマラは、邪悪なるものも及ばない一線があることを説明している。冥想修行の深まりとともに、自我というものは、自我の殻をだんだん緩め、さまざまな精妙なるものにオープンになっていく。どんどんオープンになっていくということは、神に対してオープンになっていくのと同時に、悪魔に対してもオープンになるということである。そこでは、神にも、悪魔にも同じチャンスがあるのである。
そこで、サナート・クマラは、一切の邪悪が引き返す絶対的なラインがあり、それが第六身体であるアートマンであると説明する。この神の側のチャンスも50%悪魔の側のチャンスも50%である危険なレベルを超えてアートマンに至るのは大変困難であり、クンダリーニ・ヨーガでそこを通過した人を「英雄」と呼ぶのは、それを通過した人がすこぶる少ないためである。
『さて、アートマンは、これらの諸世界が混じり合わないように防ぐ隔壁であり、境界線である。この隔壁を昼も夜も超えることはない。老も、死も、憂苦も、善い行為のみならず、悪い行為も、それを超えることはない。
一切の邪悪はそこから引き返す。何故ならば、かのブラフマンの世界はあらゆる悪を絶滅しているからである。従ってこの隔壁を超えるとき、盲目の者は盲目でなくなり、負傷した者は傷が癒え、病人は病人でなくなる。
従って、また、この隔壁をこえる時、夜は昼と成る。かのブラフマンの世界は一瞬にして明るくなるからである。
このブラフマンの世界を梵行によって見出す人々にのみ、このブラフマンの世界があり、これらの人々は、一切の世界において行動の自由を得る。』
(世界古典文学全集/ヴェーダ・アヴェスター/チャンドーグヤ・ウパニシャッドP225から引用)
※梵行(修行のこと)
【チャクラと七つの身体-316】
◎アートマン-20
2.ウパニシャッド ◎ サナート・クマラのアートマン
(ザ・ジャンプ・アウト370)

