ミルチャ・エリアーデのコーザル体
◎神秘と逆説、そして絶対的自由 宗教学者のミルチャ・エリアーデは、コーザル体がどうしたこうしたという事は述べていないが、第五身体コーザル体の位置づけを、神と悪魔が友人同士だとか、兄弟などの近親だとかいう、中央アジアや南東ヨーロッパの開闢神話でのエピソードに出て来る理由から、極めて正確に見ている。つまりコーザル体は、メンタル体での二元対立を越えたところに置かれるという見解なのである。...
View Articleケン・ウィルバーの「キリスト教の神」評価
◎自然からも人間性からも切り離された神 ケン・ウィルバーは禅的悟りから入った人である。最近の著書「ワン・テイスト」を見るとオカルティストみたいなところもあるが、それはクリシュナムルティがたまに見せる霊能力程度のものであって、ことさらに意図してそういうことを書いているわけではないと思う。...
View Articleかもめのジョナサン最終章
◎かもめの事上磨錬 30年位前にかもめのジョナサンを読んだ。問題のエンディングは、尻切れとんぼだったが、十分に後の展開を予想し得るものだった。その尻切れぶりは、きちんと描写されたエンド・シーンよりあった場合よりも、その後のダイナミズムを生むための十分なエネルギーを与えるものだった。...
View Article東方キリスト教における人間の神化
◎われわれが神化されるために カトリックでは、至福だ天上だと言うが、東方キリスト教では、神化という。キリスト教が東西分裂する以前から神化の考え方はあったのだが、東方キリスト教にその考え方が残った。その場合神化とは何を意味するかがまずポイントでその次に冥想手法の如何が問題となる。...
View Articleケンウィルバーのコーザル体
◎意識のスペクトル ケン・ウィルバーは意識のスペクトルを概観する中で、意識のスペクトルが、ヴェーダンタにおけるコーザル体と彼の「意識のスペクトル」の一段階である、「超個の帯域」が対応することを示している。 ケン・ウィルバーの「意識のスペクトル」は必ずしも固定した段階説でなく、4段階説、12段階説など数にこだわっていないが、ヴェーダンタの7段階(七つの身体説)と本質的に一致するとしている。...
View Article大量死と天国的なもの
◎天国と地獄を越える何か 人は道を求めるといえば、必ず天国的な方向、つまり大安心、やすらぎ、やさしさというような肯定的な方を求めて進む。それは純粋な高みに向かう道であり、人として自然な方向である。 終戦後からこの70年になろうとする平和な日本では、そういうタイプの宗教が隆盛を極めてきたと言って良い。...
View Articleダンテス・ダイジの冥想ルーティーン
◎すべての流れとして俺がここにある 1987年多摩でのダンテス・ダイジと弟子との会話から 『弟子「冥想をね、ずーっと長時間続けていても、あれは構わないの?」 ダンテス・ダイジ「うん構わない。時間に関係ないね。でも一般に言えば具体的な技術的な問題で言えば、それは長い方が勝ちだからね。」 弟子「ダイジはどれくらい?」...
View Articleロシアの宗教破壊
◎無神論は外から来て内を破壊 中国禅の歴史を探るとたび重なる仏教迫害の歴史に当たる。それと同様にロシア・イコンの歴史を探るとロシア宗教破壊の歴史に当たる。 ロシアは、キリスト教が入ってきてから19世紀まで、宗教面では概ね穏健なキリスト教国家であった。これが1917年のロシア革命から1990年代のソ連崩壊まで、ロシア正教は大弾圧の時代となった。...
View Article聖徳太子未来記と出口王仁三郎
◎国を挙げて大祓 出口王仁三郎は、あれだけ膨大な文書を残しているわりに聖徳太子への言及は少ない。聖徳太子は聖徳太子で、仏教を日本に入れるために神代文字を廃絶せしめたとか、結局一族皆殺しになったのにはそれ相応の行状があったに違いないとか、ネガティブ・キャンペーンがかまびすしい。...
View Article聖徳太子未来記と出口王仁三郎−2
◎世界統一 出口王仁三郎の挙げた未来記は、その前半部分だけ。 太平記にある聖徳太子未来記には更に後半部分がある。 西鳥は近代西欧文明。東魚は日本。近代西欧文明が日本を破って後、西鳥がワン・ワールドの世界統一を3年間実現する。 その後猿に等しい者が、世界を簒奪して30余年、 その後こうした大凶変は、至福千年に変じて、一元に戻って行く。 『人王九十五代に当たり、天下一たび乱れて主安からず。...
View Article禅のコーザル体
◎十牛図第六図 第六騎牛帰家 序(慈遠禅師) 争いはとっくに終わって、捕らえることも放すことも もうない。木こりの歌う田舎歌を口ずさみ、童歌のメロディーを口で吹く。 気楽な格好で、牛の背に跨がり、目は大空のかなたを見ている。彼らを呼び返すこともできず、引き止めようもない。 頌(廓庵禅師) 牛にまたがって、ぶらりぶらり家路を目指せば、えびすの笛の音が、一ふし、一ふし夕焼け雲を見送る。...
View Article豊かだった東洋貧しかった西洋
◎豊かな聖者が本来の姿 昔、社会科を学ぶと、人口が多いが経済的に貧しい東洋、人口は少ないが経済的に豊かな西洋が現代の姿だとわかったものだ。事情はその後大分変化して、ソ連が崩壊して東欧は総じて貧しかったりとか、中国が食料が足りるようになったりして貧しさは大分緩和された。...
View Article平常心是道
◎人間の側の体験に非ず 8世紀の中国でのこと。師匠である南泉が弟子の趙州に「道とはどんなものですか」と質問された。南泉は、「平常心が道である」と答えた。 そこで趙州は、「平常心をそこへ向かう目標として据えてよいでしょうか」と問うと南泉は、「そこへ向かうようなことをすれば、たちまち落ちてしまう」と答えた。...
View Article究極を指し示す言葉がない宗教
◎独存、無我、自由 下の文で、OSHOバグワンは、ユダヤ教、キリスト教、回教では窮極を指す言葉がないと云う。でも強いて言えば「神」がそれにあたるだろうから、まったくないわけではないと思う。また東方キリスト教には神化という考え方もあり、神と人は別という因習的な考え方ばかりではない。...
View Articleアートマン-1
◎本来の自分、聖杯、月、鏡、不死、不壊、永遠 個別性があるのは、コーザル体までであり、第六身体とされるアートマンは既に人間の側のものではない。現象全体をまとめたすべて一つながりの一なるもの、その呼称が、アートマンである。だから身体という呼称そのものが、そぐわないのである。 またコーザル体の先に位置するのがアートマン、「有」である。...
View Articleアートマン-2
◎冥想とは神と人とのバランスをとるバランサー 第五身体であるコーザル体は個の最終形であり、人間として最後の完成である。これに対して次のレベルが、個ではないアートマンとなるのは、唐突な気もする。この個と全体のアンバランスは、アンバランスはないという見方も一方ではできるが、そのアンバランスは調整されなければならない。...
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