◎悟りを得ようという願い
日本人にはあまりなじみのない菩提心という言葉。ダライラマにとっては基本タームであるが、この言葉によって、チベット密教が密教国家を維持してきたロジックを見ることができる。この論理はきちんと理解する人にとっては、とても有用なものとなる。
ダライ・ラマによれば、
1.菩提心とは、悟りを得ようという願いのことである。
2.菩提心は、直接悟りをめざす智慧の局面と、他の生きとし生けるものを救済しようとする慈悲の局面の二つがある。
(コメント:アジナー・チャクラ(智慧)とアナハタ・チャクラ(愛)ですね。)
3.悟りを得るにはまず涅槃を得なければならない。
4.そのためには空性を悟らなければならない。
5.空性を得るためには、空性への理解を培うこと。
6.空性への理解により、涅槃(ニルヴァーナ)を正しく判断できるようになる。
これにより、仏教への信頼と釈迦と僧への尊敬の念が養われる。
7.菩提心の有無が大乗仏教の修行者と小乗仏教の修行者を分ける。大乗、小乗とも仏教への帰依が条件の一つだが、加えて菩提心があることが大乗仏教の修行者の条件である。
帰依だけでは小乗へということである。
(ダライラマ日々の冥想/ダライ・ラマ/講談社P186-187から抜粋)
チベット密教関係では、菩提心、空性、ニルヴァーナの説明が機銃掃射のように行われるが、この基本線の理解がないと、無駄にはまってわからなくなることもあるのだと思う。この基本線を承知してのポアであり、ナーローの六法ではある。
現代のように切羽詰った時代ではいきなりニルヴァーナが求められるとは言っても、個々人のたどっていく成長過程は、このダライラマのステップをたどるであろうことは間違いないと思う。現代はそこにスピードが要求されているだけなのだと思う。
【チャクラと七つの身体-383】
◎ニルヴァーナ-11
3.仏教-1 ◎ダライラマの菩提心のポジション
(ザ・ジャンプ・アウト437)
日本人にはあまりなじみのない菩提心という言葉。ダライラマにとっては基本タームであるが、この言葉によって、チベット密教が密教国家を維持してきたロジックを見ることができる。この論理はきちんと理解する人にとっては、とても有用なものとなる。
ダライ・ラマによれば、
1.菩提心とは、悟りを得ようという願いのことである。
2.菩提心は、直接悟りをめざす智慧の局面と、他の生きとし生けるものを救済しようとする慈悲の局面の二つがある。
(コメント:アジナー・チャクラ(智慧)とアナハタ・チャクラ(愛)ですね。)
3.悟りを得るにはまず涅槃を得なければならない。
4.そのためには空性を悟らなければならない。
5.空性を得るためには、空性への理解を培うこと。
6.空性への理解により、涅槃(ニルヴァーナ)を正しく判断できるようになる。
これにより、仏教への信頼と釈迦と僧への尊敬の念が養われる。
7.菩提心の有無が大乗仏教の修行者と小乗仏教の修行者を分ける。大乗、小乗とも仏教への帰依が条件の一つだが、加えて菩提心があることが大乗仏教の修行者の条件である。
帰依だけでは小乗へということである。
(ダライラマ日々の冥想/ダライ・ラマ/講談社P186-187から抜粋)
チベット密教関係では、菩提心、空性、ニルヴァーナの説明が機銃掃射のように行われるが、この基本線の理解がないと、無駄にはまってわからなくなることもあるのだと思う。この基本線を承知してのポアであり、ナーローの六法ではある。
現代のように切羽詰った時代ではいきなりニルヴァーナが求められるとは言っても、個々人のたどっていく成長過程は、このダライラマのステップをたどるであろうことは間違いないと思う。現代はそこにスピードが要求されているだけなのだと思う。
【チャクラと七つの身体-383】
◎ニルヴァーナ-11
3.仏教-1 ◎ダライラマの菩提心のポジション
(ザ・ジャンプ・アウト437)