◎ニルヴァーナの臨在に人は集まる
これは、OSHOバグワンが、コミューンを舞台にした伝道を始めた頃の世界の行く末展望。覚者らしく、金がどう、生活レベルがどうなどということは言わない。ただ、彼がいるだけで世界中から人を呼び寄せ、コミューンが巨大化するという呪術みたいな語りでもある。
『ブッタは創造するのではなく触発する
「彼は触発する」と言うことさえ適確ではない
彼の臨在のもとで、物事が起こる
彼の臨在のもとで、物事が触発される、さまざまなプロセスが始まる
まさに彼の臨在がひとつの炎、ひとつの火花だ
そして物事が動き出し、それが次から次へとつながってひとつの偉大な連鎖ができる
そうやって私たちはこれまで進んできた
私は、何もしないでただ自分の部屋に坐っているだけだ
そうすると、世界中から探求者たちが流れこみはじめた
私は一通の手紙すら書かない・・・・・ただの臨在だ
一人が来て、もう一人が来て、やがて連鎖ができる
いまや、ブッダフィールドが必要とされるときがきた
母体(マトリックス)が必要とされるときがきた
なぜなら、あなたは知らないが、何千人以上もの人たちが道の途上にいるからだ
彼らはすでに動きはじめた
彼らはすでにここへ来ることを考えている
そして人々の数が多ければ多いほど、ますます大きなブッダフィールドがそこにできる
そしてますますそれは強力なものになる
私たちは、かつてこの世に創造されたなかで
最大、最強のブッダフィールドのひとつを創造することができる可能性がある
なぜなら、いまだかつてこのような探求はなかったからだ
いまだかつて、人間がこのような危機の状態にあることはなかったからだ
私たちは、人類に起ころうとしている新しい何かの瀬戸際にいる
人類は死んで消えるか、あるいは跳躍、飛躍して、新しい存在が形成されるか――――
私たちは、何年か前に猿が樹から降りて
人類が始まり、新しい存在が誕生したのとまさに同じ時点にいる
再びその瞬間が迫っている
それは非常に危険な瞬間だ
なぜなら、あらゆる可能性があるからだ・・・・・
その猿は地上で生き延びられなかったかもしれないということはありえた
その猿は地上で死んでいたかもしれない
しかし少数の猿たちは危険を冒した
彼らはほかの猿たちからばかだと思われたにちがいない
ん?ほかの猿たちはずっと樹の上で暮らしてきて、まったく幸せだった
彼らは思ったにちがいない
「この連中は頭がおかしくなっている、狂っている
第一、なぜ地上で生きていこうとするのか?
なぜ自分でむだな骨折りをつくり出すのか?
われわれの父親もその父親も、そしてその父親もみんな樹の上で暮らしてきたのだ」
再び同じ状況が起ころうとしている
人間は長いあいだ、昔ながらの暮らし方をしてきた
今世紀末までに、重大な量子的飛躍が可能だ
人間は、第三次世界大戦で死滅するか
それとも、人間は飛躍をとげて新しい人間になるか、そのいずれかだ
それが起こる前に大きなブッダフィールドが必要だ
私たちが未来を創り出すことのできるフィールドが』
(ダイヤモンド・スートラ/OSHOバグワン/めるくまーる社p562-565から引用)
この時点では、コミューンが失敗することを彼は予期はしていない。
これから20年、OSHOバグワンは既に古典となった。その教訓の一つは、悟りに至るメソッドの基本は、一つの流派を押し極めていくのが基本だということで、あまりファッション冥想などの脇道にそれたりしてはいけないということだろう。
まずは、めいめいがめいめいのスタイルで坐り、悟りという体験とは言えない体験を目指す。それでも、悟った人がある一定数に達しないと、生活レベルを落とす動きも政治を正す動きも新時代モデルにはならないだろう。この一定数というのをOSHOバグワンはコミューンで達成しようとしたわけだ。
【チャクラと七つの身体-394】
◎ニルヴァーナ-22
5.ニューエイジ-2 ◎コミューン-一定数の覚者
(ザ・ジャンプ・アウト448)
これは、OSHOバグワンが、コミューンを舞台にした伝道を始めた頃の世界の行く末展望。覚者らしく、金がどう、生活レベルがどうなどということは言わない。ただ、彼がいるだけで世界中から人を呼び寄せ、コミューンが巨大化するという呪術みたいな語りでもある。
『ブッタは創造するのではなく触発する
「彼は触発する」と言うことさえ適確ではない
彼の臨在のもとで、物事が起こる
彼の臨在のもとで、物事が触発される、さまざまなプロセスが始まる
まさに彼の臨在がひとつの炎、ひとつの火花だ
そして物事が動き出し、それが次から次へとつながってひとつの偉大な連鎖ができる
そうやって私たちはこれまで進んできた
私は、何もしないでただ自分の部屋に坐っているだけだ
そうすると、世界中から探求者たちが流れこみはじめた
私は一通の手紙すら書かない・・・・・ただの臨在だ
一人が来て、もう一人が来て、やがて連鎖ができる
いまや、ブッダフィールドが必要とされるときがきた
母体(マトリックス)が必要とされるときがきた
なぜなら、あなたは知らないが、何千人以上もの人たちが道の途上にいるからだ
彼らはすでに動きはじめた
彼らはすでにここへ来ることを考えている
そして人々の数が多ければ多いほど、ますます大きなブッダフィールドがそこにできる
そしてますますそれは強力なものになる
私たちは、かつてこの世に創造されたなかで
最大、最強のブッダフィールドのひとつを創造することができる可能性がある
なぜなら、いまだかつてこのような探求はなかったからだ
いまだかつて、人間がこのような危機の状態にあることはなかったからだ
私たちは、人類に起ころうとしている新しい何かの瀬戸際にいる
人類は死んで消えるか、あるいは跳躍、飛躍して、新しい存在が形成されるか――――
私たちは、何年か前に猿が樹から降りて
人類が始まり、新しい存在が誕生したのとまさに同じ時点にいる
再びその瞬間が迫っている
それは非常に危険な瞬間だ
なぜなら、あらゆる可能性があるからだ・・・・・
その猿は地上で生き延びられなかったかもしれないということはありえた
その猿は地上で死んでいたかもしれない
しかし少数の猿たちは危険を冒した
彼らはほかの猿たちからばかだと思われたにちがいない
ん?ほかの猿たちはずっと樹の上で暮らしてきて、まったく幸せだった
彼らは思ったにちがいない
「この連中は頭がおかしくなっている、狂っている
第一、なぜ地上で生きていこうとするのか?
なぜ自分でむだな骨折りをつくり出すのか?
われわれの父親もその父親も、そしてその父親もみんな樹の上で暮らしてきたのだ」
再び同じ状況が起ころうとしている
人間は長いあいだ、昔ながらの暮らし方をしてきた
今世紀末までに、重大な量子的飛躍が可能だ
人間は、第三次世界大戦で死滅するか
それとも、人間は飛躍をとげて新しい人間になるか、そのいずれかだ
それが起こる前に大きなブッダフィールドが必要だ
私たちが未来を創り出すことのできるフィールドが』
(ダイヤモンド・スートラ/OSHOバグワン/めるくまーる社p562-565から引用)
この時点では、コミューンが失敗することを彼は予期はしていない。
これから20年、OSHOバグワンは既に古典となった。その教訓の一つは、悟りに至るメソッドの基本は、一つの流派を押し極めていくのが基本だということで、あまりファッション冥想などの脇道にそれたりしてはいけないということだろう。
まずは、めいめいがめいめいのスタイルで坐り、悟りという体験とは言えない体験を目指す。それでも、悟った人がある一定数に達しないと、生活レベルを落とす動きも政治を正す動きも新時代モデルにはならないだろう。この一定数というのをOSHOバグワンはコミューンで達成しようとしたわけだ。
【チャクラと七つの身体-394】
◎ニルヴァーナ-22
5.ニューエイジ-2 ◎コミューン-一定数の覚者
(ザ・ジャンプ・アウト448)