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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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クンダリーニ・ヨーガも只管打坐も-1

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◎ダンテス・ダイジのケース-1

ダンテス・ダイジは、生前経典を残しており、そのものズバリで、ニルヴァーナへの王道とされるクンダリーニ・ヨーガも只管打坐も極めたことを自ら明かしている。なお両方極めた人物には他に釈迦がいる。

(1)只管打坐
 その著書ニルヴァーナのプロセスとテクニックでは、只管打坐の体験記が二種盛られており、一つは絶対愛の目覚めであり、もう一つはニルヴァーナの目覚めである。

絶対愛とは、大慈大悲でありmercyのことであり、神の七つの属性の一つという位置づけであろうことがわかるので、ニルヴァーナの前段に置かれているようだ。

そして、ニルヴァーナの目覚めの方は「身心脱落(ニルヴァーナ)の目覚め」と章が立てられており、その違いを明示している。要するに「愛」だけ悟っても、それは全体ではないことを強調している。

また、ニルヴァーナの目覚めで覚知した境地を「空」であると見て、空とは時空の超越状態であって、坐禅をしている自分もなく、絶対的静寂というか、絶対的充実というか、その空があるという表現を用いている。

そして只管打坐とは宇宙と一体になることでもないという。

『只管打坐とは、即座に、自己が肉体でも、意識でも、魂でもなく、時間にも、空間にも、物質にも、現象にも束縛されず、まして宇宙と一体になることでもない。

もちろん初期の頃は、宇宙と一体という経験が起こるであろうが、只管打坐とは、それのみにとどまらず、全く何の限定も受けない、空であるところの、唯一存在するところであるところの、あるいは唯一非在であるところの自分自身に目覚める道であり、かつて道元はそれを「身心脱落」と言ったのである。』
(ニルヴァーナのプロセスとテクニック/ダンテス・ダイジ/森北出版p112-113から引用)

これだけ具体的で親切な只管打坐での覚醒のプロセスを書いてくれているものは、この他には、バグワン(OSHO)のそれくらいではないかと思う。

【チャクラと七つの身体-395】
◎ニルヴァーナ-23
5.ニューエイジ-3 ◎クンダリーニ・ヨーガも只管打坐も-1
(ザ・ジャンプ・アウト449)


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