◎語らないことを大切に
雲巌は、大物である洞山の師匠だったが、生涯未悟だった。
現代人はほとんどが未悟である。
雲巌の兄弟であった道吾は、既に開悟していたが、南泉の和尚のもとで雲巌と一緒に修行していた。
ある日南泉和尚に道吾が、あなたの名前は何かと問われた。
道吾「宗智と申します。」
南泉「智がいたらないところを、どのように根本(宗)とするか」
道吾「決して言語表現してはなりません」
南泉「いかにもそうだ。言語表現すれば頭に角が生える」
三日後、僧堂の後ろで、道吾と雲巌が縫い物をしていると、南泉が問うた。「先日、智がいたらぬところを決して言語表現してはならない。表現すれば頭に角がはえる、と言った。これをどのように実行しているか?」
道吾は、すぐに抜け出して僧堂に入った。雲巌は道吾に「あなたはわかっているのに、どうしてさっきは答えなかったのですか」と問うと、道吾は「あなたはよくもまあそんなに利発(霊利)でいられるね。」と。
その足で雲巌は南泉和尚に「さっきは、道吾はどうして質問に回答しなかったのですか」と問うと、
南泉「かれはなかなか畜生道(異類中行)を実践している。」
雲巌「何が畜生道の行ですか。」
南泉「さっき「智がいたらぬところを決して言語表現してはならない。表現すれば頭に角がはえる」と言ったろう。そこで畜生道を実践しないといけない」
雲巌はわからなかった。
この理屈を説明してはならないということだろう。
往年のサッカーの名選手サントスが日本のサッカー選手の育成についてこんなことを言っている。
『日本では、指導者が懇切丁寧に教えるけど、それは良い面と悪い面があると思う。ブラジルでは、監督が大まかな方針を示すだけで、その具体的な方法は選手に任せる。そして、選手は自由な発想で、大胆にプレーをする。』
(SOCCER DIGEST Web 5月8日(金)22時12分配信から引用)
教えられない部分を教えてもそれは、却って害になる。それが却って害になるということは、わかっていない人には理解できない。日本では、アメリカ流のマニュアル至上主義(何でも教えれば事足れり)のもたらす弊害が、一層こういう面を悪化させている。
雲巌は、大物である洞山の師匠だったが、生涯未悟だった。
現代人はほとんどが未悟である。
雲巌の兄弟であった道吾は、既に開悟していたが、南泉の和尚のもとで雲巌と一緒に修行していた。
ある日南泉和尚に道吾が、あなたの名前は何かと問われた。
道吾「宗智と申します。」
南泉「智がいたらないところを、どのように根本(宗)とするか」
道吾「決して言語表現してはなりません」
南泉「いかにもそうだ。言語表現すれば頭に角が生える」
三日後、僧堂の後ろで、道吾と雲巌が縫い物をしていると、南泉が問うた。「先日、智がいたらぬところを決して言語表現してはならない。表現すれば頭に角がはえる、と言った。これをどのように実行しているか?」
道吾は、すぐに抜け出して僧堂に入った。雲巌は道吾に「あなたはわかっているのに、どうしてさっきは答えなかったのですか」と問うと、道吾は「あなたはよくもまあそんなに利発(霊利)でいられるね。」と。
その足で雲巌は南泉和尚に「さっきは、道吾はどうして質問に回答しなかったのですか」と問うと、
南泉「かれはなかなか畜生道(異類中行)を実践している。」
雲巌「何が畜生道の行ですか。」
南泉「さっき「智がいたらぬところを決して言語表現してはならない。表現すれば頭に角がはえる」と言ったろう。そこで畜生道を実践しないといけない」
雲巌はわからなかった。
この理屈を説明してはならないということだろう。
往年のサッカーの名選手サントスが日本のサッカー選手の育成についてこんなことを言っている。
『日本では、指導者が懇切丁寧に教えるけど、それは良い面と悪い面があると思う。ブラジルでは、監督が大まかな方針を示すだけで、その具体的な方法は選手に任せる。そして、選手は自由な発想で、大胆にプレーをする。』
(SOCCER DIGEST Web 5月8日(金)22時12分配信から引用)
教えられない部分を教えてもそれは、却って害になる。それが却って害になるということは、わかっていない人には理解できない。日本では、アメリカ流のマニュアル至上主義(何でも教えれば事足れり)のもたらす弊害が、一層こういう面を悪化させている。